最終日

喪服の入ったトランクを駅から自宅に送って、バッグを其々ひとつ持っているだけ。四谷に出てイグナチオ教会に行った。かつて私が所属していた教会。その時の主任司祭は、ヘルマン・ホイベルス神父。観世流新作能の台本を書いたりなさった文学者。素敵な神父様だった。お亡くなりになって長い年月が経って、生きておられた頃を存じ上げている人は最早余り残ってはいないのだろうとおもう。
此処では各国語のミサが次々と行われているから、日曜日は行きさえすれば何語のミサでも受けられる。
ザビエル小聖堂で丁度ミサが始まったところだったので飛び込んだ。ポルトガル語だった。勿論言葉はわからない。でもミサの流れは世界中一緒なので不自由はしない。ギター伴奏で歌う。解らなくてもはじめての旋律でもハーモニーは取れるので普通に歌っていた。そのうち、アレルヤが自分達の歌いなれていた唄だったので思わずオブリガートを朗々とつけてしまった。途端に楽譜が回ってきてポルトガル語の式次第が回ってきて仲間になってしまった。「主の平和!」と周りの人々と手を握り合った。喜んでもらえたらしい。「自己紹介」をといわれたので「旅行者です」と答えた。言葉の壁が壁ではなかった体験をした。
教会を出たら前の道路はバザールと化していて、ワゴン車の屋台やら、訳のわからない食べ物やら、此処はブラジルか、フィリピンか、チリか、メキシコかという感じだった。日本人のおまわりさんが自転車でパトロールしていたが、黙認。教会の真ん前で日曜日と言う事なのだろうか。