嵐の中の青空

目黒の庭園美術館を歩いた。勿論旧朝香宮邸も。アールデコの傑作を眺め、此処で幸せに暮らしたひとつの家族を思い林の中を歩いた。私たちは樹の匂いや風がなければ生きてはいけないのかもしれない。ほっとした。お昼時だったので隣接しているレストランで昼食を頂く。庭園に人慣れした大きな猫が寝そべっていて撫でさせてくれた。スケッチをしているグループがあって何時もと変わらない風景。東京にはこうやって緑を楽しむ空間がまだたくさんある。
電車に乗っていると親分が「この街には完成と言う事がない。ヨーロッパは既に完成され維持の時代に入っている都市がたくさんある。東京はいつも壊され再建され落ち着くことがない。この町は、言葉を通わす必要のない通り過ぎるだけの人々を量産している。まるでバベルのようだ。」といった。私もそう思った。人間が同じ言葉を話しながら、通い合えない、理解しあえない壁がある。養老氏が「馬鹿の壁」を書いたとき、同じ事を感じておられたのだろう。馬鹿の壁の高さ、分厚さを実感する出来事に巻き込まれてしまってことのほか強く感じている。
六本木のチャペルセンターにダナン神父を尋ねた。9月、10月、11月と続くエンカウンターの打ち合わせ。神様は私たちの船を何処まで導いてゆかれるのか。「遊ばないで帰るの?」「勿論!」金曜日の六本木はいまのわたしたちには遠い町。若い頃私の勤務していたソフトウェアー会社があったが別の名前になっていた。此処で徹夜紛いの仕事をしていたんだなあと思う。ちょっとシミジミしていた。若かったし、時代の最先端の業種だったし、仕事も面白かった。あの頃の仲間達は最早散り散りになっているんだろうな。ひとつの技術の開発に関わるって人生をかけてしまうことがある。選択を迫られた時、わたしは自分の人生を歩みたかった。技術開発ではなくて。若かったな。