今夜は重たい

仙台に自殺遺族の援助支援をする会を立ち上げる動きがあって(既に幾つかあるが)今夜は某公立病院の救急救命センターのドクターに召喚されている。私の関わっているNPOの活動と被る所が多いのでそのスキル提供が主な仕事になるのであろうが、正直私は苦しい。
 しかし立場はどうであれ、事情はどうであれいきなりこどもがいなくなってしまったときの親の苦しみを、今の所属NPOで一番よく知っているのは私だろうし、仕事の柱として私は自殺遺族や未遂者のアフターケアを据えてターミナルカウンセラーとして関わってきた。私の30年の歩みはそのまま他者の命の終焉と再生への歩みでも有る。家族は私のダメージを心配するが、この事に関して最早逃げてはいけない時期が来たのだろうと思う。いつかはやらねばならないと思っていたから、その時が来たのかもしれない。