自分の事

 このごろ、色んな出来事を通して、私は自分がずいぶん強靭な人間だと気が付きました。ギュダ君の旅立ちのあとでギュダ君の後を追いかけずに生きている事が不思議でした。精神的にタフだと気がついたのは、自分が同じ悲しみを抱えた人とであった時、自分の悲しみは心に置いたまま、相手の心を受容しようとする姿勢を失っていなかったからです。27年間の訓練が私に染み付いているのか、それとも私自身のこころの在り様がそのように作られているのか判りませんが、私にはまだやらなければない事が残っているようです。
 自分が好きで選んだわけでもなく、ある日、教会から託された独りの人との関わりが、今の私の生きかたに繋がっています。幾度も途中でやめる機会はあったのにやめなかったのは其の中で自分自身が育てられ、鍛えられている実感があったからです。訊く、聞く、聽,さまざまな「きく」を経て今の私が育て上げられてきたのです。ですからこのタフさは語り手が私に下さった力だと思います。自分で手に入れたものではないから、感謝して有り難うと言っても良いのかなと思いました。言葉は少なく、よき耳を持って心から響あう事ができるならば私の生きる場所も祝福の地となるのでしょう。何時か私が旅に出る前にそんな瞬間があるのかさえも判りませんが。まだまだあゆみ続けていかなければならないのだろうと思います。のんびりぷらぷら遊びながら楽しく行けたらいいなあ。