懐かしい名前が

泉岳のウサギの仔

 何気なく広げた新聞に、懐かしい名前を見た。死亡記事だった。昔々、まだ私が10代の頃、彼女は作家デビューした。父親も作家だった。父とはまるで違う文体と切り口で、軽妙な語り口とは裏腹にヒリヒリした感性の痛みが伝わってきて、そのアンバランスさがおもしろかった。はじめは暮らしの手帳の編集部にいた。それから「天国に一番近い島」を出した。私も編集を仕事にしたかったから、彼女の本は見えなかった影の部分を見せてくれた。やがて、年月が過ぎて私自身が編集記者になった頃、彼女は同じような文を乱発していた様に思う。何時しか文に出会う事もなくなっていった.書くことが出来なくなったと聞いた。そのあと、お菓子の店やケータリングや、絵を描いたり,TVで見かけることもあった。彼女のお菓子の作り方、絵の描き方にふっと違和感を感じた。荒い。デリカシーも、細やかな感受性の反映もなくなったと思った。最後に見たのはBSの「心の旅」と言う番組で、そこで見た彼女の姿は異様だった。
 純粋な、一途さを抱えた人だったから、静かに壊れ始めたのだろう。彼女の文体はあっけらかんとしていて、乾いている。断定的で戸惑いがない。少女期にこれから自分は如何生きたらいいのか迷いだす時、一足先に大人のステップを踏んで行く姿を見せてくれる本として、12歳〜15歳くらいの娘達には面白いかもしれない。森村桂。死因は自死。彼女はアリスというよりもチェシャー猫だった。若い日にあなたに出会って、楽しい時間をもてたことに感謝します。ありがとう。ご冥福をお祈りします。
 夕べ遅く秋田の神父様から電話あり。11月のスケジュールが入る。また講話の準備に追われる。12月は盛岡。まったくのボランティアだからかえって引き受けやすい。場所は湯沢台の修道院。涙を流す聖母像で有名なところ。創立者が、私の導師だった人で、不思議なご縁を感じる。44時間泊りがけのワークショップ。もう26年続けていることに吃驚!ここで出会った人たちは、大きな家族のような気がするよ。I神父様がギュダ君のためにミサをささげてくださった。あの子はみんなに愛されていたと思った。有難いと思った。
 朝3時頃からスナフキンが喘息の発作が起きて、みんな目が覚めてしまった。仕事は休めないのと、薬を会社に忘れてきたのでいつもより一本早いバスで出勤していった。母親としては「休んだら如何よ」と思うけれど、本人が出る気になっているから、ナニモ言わなかった。友人が「子供を信じます。私を黙らせてください」と紙に書いて袋に入れて、首にかけていたけど(もちろん、外から見えないところに)口を出さない事はホントに難しい。子供が大きくなればなるほど、不安の質が変わってくるから。子供には子供の人生がある。親でも口出しはしない。と心に決めてはいるのだけれど。「良かれと思って」が一番よくないな。
 ふっと、のうてんきな気分になりたくなった。隣の部屋で師匠がマックで作業をしているから、雰囲気だけはソーホーみたい。それぞれ、自分の仕事をしているから、干渉はしないが、お腹のすく時間がなんとなく「ひとやすみ」の合図。私は、主婦業に戻る。今晩のメニューはほっかりと身も心もあったかくなるものにしよう。『メッチャ』優しくしたい気分だよ。
 カノンだけが入っているCDがある。無条件にあの子を思い出す。師匠がヒッソリと流していた。あの子がまだ綺麗なボーイソプラノだったとき、みんなでアンサンブルしたっけな。家族ですべてのパートがそろう。声変わりして彼はファルセっトとバスが歌えた。だから、オブリガードは姫様と彼の受け持ちだった。秋風が吹き始めるとキャロリングのための練習が始まる。ファミリーノエル、今年はどうするんだろうな。
 さて、現実に戻ろう。女は切り替えが命。