秋本番だってさ

泉岳コスモス畑

 秋本番とTVでは盛んに言っている。北海道に居た時は9月になったらそろそろストーブだった。此処は其処まで寒くはないが、そろそろセーターを出そうかなと思う。朝ドラが新しくなった。あまりTVは見ないから関心はないけど、時計代わりに見ていてあまりの下手さにイライラするのはいやだ。神戸が舞台らしく、兄一家が住んでいるし震災以来の友達もいるので、風景として眺めているが。ご当地サービスドラマかなって思う。
 朝目が覚めて又一日が始まると思う。区切りをつけて朝を意識している事に気がつく。かつて神戸の震災で娘をなくした母親が、心を病んで喫茶店のマスターに「生きている子供もたいせつにせなあかん」と言われていた場面に遭遇したけれど、目覚めて真っ先に既に起きてしまった事を「夢じゃなかったんだな」と思うのはどうしようもない。
 それでも素朴に今日一日を幸せな気持ちですごしたいと思う。なんでもいいから、暖かいものが欲しい。柔らかな手触りのものが欲しい。空の手を満たすものが欲しい。心を決めて始めなければ黙って座っていても一日は終わる。気がつけば彼の祭壇の前に座って何時間も灯りを見つめていたりする。思い出しているのは幼稚園の頃の彼。小学校の時の彼。年齢が上がってくると思いがこみ上げてきて、動けなくなってしまう。私だけではない。家族はみんな同じ気持ちを味わっているだろう。言わないだけ、表さないだけだ。ふっとホットミルクを造って飲んだ。
 何か仕事をしていると彼の前から動かざるを得ないので心が堆積してゆかない。悲しめるだけ悲しんだ方がいいのだろうけれど、此処から立ち上がるには自分ひとりのエネルギーでは足りない。
 絵を描くこと。注文を受けて、形として残る絵を仕事として描くこと。文字を書くこと。人の話を聴くこと。話す事。人から孤立しない工夫が必要かもしれない。心がよどみ始めたら、もう自分ではどうする事も出来ないような気がして。種をまき草花を育てる。
 時間が過ぎてゆく事が、彼と自分の間に距離を作るようで怖い。忘れてしまったらどうしようと思う。こんな事の繰り返しで日にちが過ぎてゆく。
 まだ子供達が居て、私の母親としての役割があるなら、それを果たしてゆく事が第一かな。妻と言う生き方もあったな。自分が家族の中で果たしてゆくささやかな役割の中に、自分が神様から預かったタラントがある用に思うから懸命に生きたいと思う。
 きのう帰り際に大将が「あ、スッポンタケ火を通しておくね」といって、また湯がいて水にさらしていった。もう、キチンとおいしく「野菜炒めあんかけ」を今晩作って試食せずにはおくまいて。せっかく採取して、生涯一度の出会いかもしれないのだからな。思い出せば、大将が生まれる前日も私はバケツをぶら下げて、藪をこいでハツタケとクギタケを取って歩いていた。丘を登ったり降りたり、土手の藪をこいで鍛えていたせいか、安産だった。精神的にものんびりとしていた時期で、その後生まれた子供達とはお腹の中から条件が違っていたな。彼の飄々とした人格形成にあの生活環境は寄与しているかもしれないな。今日は彼が生まれた日。生まれてくれてありがとう
 月曜日は一時間出社時間がずれるスナフキンを車で送る。きのうトイレに落っことして「2万円又かかる」と青くなった彼のケイタイは,電池パックを外して、メモリーカードも外してかわかしたら、復活した。良かったねーと喜んだ。だって臨時の出費は切ないもの。
 姫様は足元に猫王子が寝て寝ぼけて互いに足でやりあったらしく「ねむれなかったよー」とネムネムイを連発していた。それでも、重たいリュックを背負って登校していった。
 10月にまた人事異動がある。サラリーマンの家族は自分の住む場所も人間関係もなかなか自分では決められない。妻が自分で何かしようとすると、別居を覚悟で始めなければならない。子供を父親と離して育てるのは子供の権利を奪う事だと思うし。結局自分ひとりで出来る範囲のままごとみたいなことしかやってこなかった。もっと頑張ればよかったかな。
 今から、何が出来るか。残った時間をかけて何を最後の仕事にするか考えている。折角親分と生涯を共に生きてきたのだから、二人でできる事、二人でしかできない事をやってみたい。子供を育てるだけでもう余力はあまりないけど、もちろん自分の老後の事も考えると大変だけど親としてだけではなく、一個人の生き方も考えたい。自分だけではなく、後に来るもののためのささやかな足がかりを残してみたい。なんてね。少しは前を向いているんだって気がしてくる。
 もうスグ自分の拠点を決めなければならない時期が来ている。そろそろ、第2ラウンド。夫婦としてユニットを組んだ本来の目標を再確認する時期かな。誰に指示される事もなくて、自分の生き方を自分で組み立ててやってみる。リスクはこわいけれど、それこそ自己責任の取れる大人だから。シンプルに行きたい。人生も生活も。
 盛岡の家をアメリカ人が庭の広さに魅力を感じて、借りたいといってきたそうだ。ただし、家の内装および外装の手直しと、庭の木を切ること犬を飼うこと、などなど色々夢があるらしい。不動産屋が不安がって電話してきた。日本人の常識は通用しませんから、この次ぎ貸せないようでは困りますからといっていた。人種偏見はないが、私も彼らのセンスは少し怖いなと思う。花柄や星柄は日本人にはなじみませんよと、不動産屋はいったそうだが。いったん貸してしまえば借りた者勝ちで、出る時はそのまま居なくなっちゃいますからといっていた。プロの直感で危ないと思ったらやめてくださいと言っておいた。私達には分からないいろんなことが在るんだろうな。
 それにしても、あそこに何の木があったのだろうか。裏に桜が一本あったような気がするけれど。25年前に一年住んだだけの家は、記憶もぼんやりしていて自分の家という愛着がない。あそこで、蛙ちゃんがうまれたんだけどな。
 食べたよ。あのきのこを。参考までに作り方を。
たまねぎ・・スライス  にんじん・・スライス  塩漬けの鳥もも肉・・一口大にオリーブオイルで塩コショウ。キノコを入れ仕上げにサニーレタスを入れさっと炒める。
なんと、お代わりした人が続出!もちろん私は食べなかった。
 盛岡ではじめてタマゴダケを沢山とって、食べた時、バターの香りとこりこりした歯ざわりで「まいった」と思った。タマゴダケの毒みたいな外見よりもスッポンダケのイメージは強烈だった。皆さん試してみて。純粋に食材としては、いけるんだってば。
 今までいろんなところで、いろんな人に会ったけど、盛岡くらい山に人が入り込んで楽しむところはなかったな。子供達も例え八百屋がなくても道端の草で御飯が作れる。まあ、これに関しては爆笑物の話があるけどね。山菜の季節になったら、みんなで笑おう。