おやすみだー

あかまんまのはな

 今日は秋分の日。御彼岸の中日。午前中は洗濯したり御飯作ったり、お母さんをやってました。午後から久し振りで畑に行ってレタスはもうお仕舞い。あっという間に寒くなってきたので畑の作物が追いつかない。というよりも、天候に左右されるのが当たり前の農作業を、こっちのカレンダーですきにやろうというのだから、私の負け。
 2食分のレタス、キュウリ、ナスをゲット。おいしい。食用菊の「もってのほか」に沢山蕾がついていたのでもうスグ紫色のブッシュが出現するはず。なんだか、今年も植物のタイミングにいまいち乗り切れて居ない。教科書と首っ引きなんだけれど・・子供と同じで育児書の通りには育たないよ。
 畑から足を伸ばして山へ行った。トキイロアンズタケを見つけた。これが又味噌汁にするとおいしい。
 今夜は古代米と雑穀の炊き合わせ御飯、きのこと、フダンソウの茎と、だいこんと牛肉の味噌汁。サトイモと豚肉の肉団子とフダンソウの葉の煮物、なすときゅうりの水キムチ。梨と葡萄のデザート。質素だけれどおいしかった。黒米は親分の視力回復に効いている様だ。朝、新聞の文字が見えやすいといっていた。騙されたと思って古代米を20%混ぜてごらん。眼が楽になるから。夜の運転が楽だなって思うから。
 きのこ取ったり、野山の木の実や枯れた花や、葉っぱをデッサンして、鉛筆の黒の中に、様々な色が見えてくるとき、うふっと嬉しくなる。ありあわせの食材で自分の身体が欲しがっている食べ物を探り当てた時の気持ちと良く似ている。ちいさな安定感。
 週の終わりに林の中を歩くとほっとする。木々の間に自分の居場所を見つけるとほっとする。私達家族は、何処に転勤してもマザーフォーレストを見つけた。マザーツリーを探す。幼い頃からの習慣だが、これは転勤族で山歩きが仕事がらみだった父の精神安定法だったらしい。私はいつの間にか父の生き方を身に付けてしまったようだ。
 夕方立ち寄った業務用食材店で、新米のセールをやっていた。思わずササニシキを買ってしまった。ひとめぼれのほうがコシヒカリの血が濃いのでおいしいのだけれど、ササニシキのさりげない味わいが上品で、つい買ってしまう。かつて転勤で他県に出た時ササニシキを買い込んでしばらくしのいだ事があった。それくらい味が違う。こんな事を書いているととんでもない食いしん坊みたいだ。
 少しずつ書き溜めている絵を日記に載せられるといいなと思っている。