居住地内で、誰何されたぜ!

mugisan2004-09-11

 カットを描くことになったので、デッサンを書き溜めておく必要が出て来た。素材を集めに、親分と、大将、師匠、姫様、私と、居住区の中の林の小道を散歩していた。大将が「何か、御用ですか」と尋ねられた。これは内部用語で「不審者」とみなされた事になる。初めてだよ。「ここの職員の父親と散歩しています」と答えて、親分が「やあ、こんにちは」とあいさつして、事なきを得たが、自分が認知されていなかったことに、ビックリ。春に転勤してきたのだから、仕方が無いが、、、、
 関係者以外立ち入り禁止の環境で生活しているんだなあと、しみじみ。まあ、オートロックのマンションだって同じか。人と人の関係性が希薄になるわけだなあ、と改めて思い至りました。
 アオギリの実が面白いので,何点か描いてみようかと思っています。デッサンをまた始める事ができるようになったら,少し元気になれるかもしれない。少しずつ、ギュダ君のことばかり、頭の中で追い求めている事から、解放されて、生きる事ができるかもしれない。本屋に行く事、彼の大好物だった蕎麦を食べる事、カノンを聞く事、絵を描くこと、少しだけ、また出来るようになってきた。今日は、此処までと自分の生活の範囲を広げてゆく事ができ、いつかそれが無意識の行動になったら、ギュダ君に申し訳ない気持ちを抱かないで、笑ったり、幸せな気持ちになる事が出来るのかもしれない。
 彼がこんな私の日常を決して喜ばないと分かっていても、笑う事も、楽しむ事も「ヨイショ」と覚悟しなければ気持ちが動かない。何かとても悪い事をしているような、気持ちになってしまう。この感情は自然なものだ。時間が過ぎてゆく中で、あきらめて、受け入れてゆく。「時薬」はおだやかに、ゆったりと心を癒してゆく。
 話は変わって、今日は畑のレタスを食べました。レタスの茎は、硬い皮をむくとポキポキして、ほんのりと甘いのです。ちょいと幸せな気分。借りた畑は、海からの風が吹くところで、この前の台風で塩気を含んだ風を浴びて、ナスもキュウリもシュンギクもやられてしまった。種を蒔きなおして、なんとか収穫できるものに、切り替えてゆくほか無いね。畑の特性がいまいち分からなくて、いろんな種を蒔いてみては、肥料をあれこれ入れてみる。前の宿舎は生ゴミをBM菌で堆肥化して入れたから、草地を開墾したにもかかわらず、結構採れた。有機肥料のほうが、いいような気がする。もし、来年もここに居て、畑を借りるのであれば、肥料の事をもう少しキチンと勉強しなければ駄目ね。5−10−5ばかりたよっていては。
 田舎暮らしの本を立ち読みしていて、とても変な気持ちになった。なんだか人生の優等生の紹介記事のように、感じた。特別な選ばれた人々。生活実感が伴わないんだよなあ。ハッキリ言ってしまえば、作られた『田舎暮らし』が鼻につく。もっとさりげなくサラリと生きてみたい。そんな気分になった。どこか、芝居がかってうそ臭い。