今日の風に吹かれましょう

mugisan2004-09-09

 昨日は、仕事がらみで、親分と「ライファーズ」のシンポジウムに行った。日本の行刑の現場がまるで理解されていない事に唖然とした。少年法の改制で、12歳で少年院に入る可能性も出てきた。低年齢化は、さけられないとしたら、少年期後半と青年期の扱いに苦慮するだろうな。
 ジョナサンが居なくなっただけでガランとしてしまった。彼にどんな形の援助が出来るのか、考えてみたい。彼が糸の切れた凧になったりしないように。孤独ではあっても孤立しては、居ないんだよと伝えたい。
 今日と明日は午前中中学校の広報部の仕事。カットを又引き受けてしまった。人が居なくて、ホントに困ってしまって、しかたがないかということになった。漫画絵では困る。きちんとした絵が欲しい。関係者,父兄からそれを探そうって方が無理ではないかと思った。必要に迫られて、また余計な仕事を増やしてしまった。文字書きだけでも大変なのに・・・
 親分は今日、明日と青森に出張。忙しい事だ。帰ってきて日曜日は、御彼岸の行事があって出勤。休む暇が無い。心の中に、どうにもならない、重たさが積み重なってきて、ああそろそろ切ないかもと思う。だけど、幼い姫様のことを考えると,そんな事いってられないもの。かえって、彼女から元気貰うような気がするよ。人は、調子のよい日もあれば、悪い日もある。どの日も同じように淡々と生きられたら、これ以上いいことはない。
 ジョナサンが帰ってしまい、スナフキンが仕事で帰られず、大将も残業で、親分は出張、なんだか、家の中がガラーンとしている。もしこれが、山の家だったら、どんなに心細いだろうとふと思った。外を通る車の音が、かえって、安心。ギュダ君と姫様と三人で夜を過ごした事があった。男の子がいる事で、心強かった。最後まで起きていて、戸締りもみとどけてくれた。あの子は猫の尻尾ではなかったな。
 しみじみと、寂しいなと思う夜がある。多分、何歳になっても、この寂しさは、なくならないだろうな。話せない。この気持ちは分かってはもらえないから。もし、親分の言うように、里山に家を建てたら、この耐え難い寂しさを、一人で耐えるのだろうか。
信仰があっても、神と一緒に、ひたひたと押し寄せてくる寂寥感をかみしめるのだろうな。たえられるのかな。ターシャ・チューダの生き方をいいと思う反面、本当に彼女は、あの家にたった一人で篭っているのだろうかと思ってしまう。次男が隣にすんでいたような気がするのは、そうあって欲しいと言う願望かもしれない。
 この次転勤したら、私達の家族はいったい何人家族になってしまうのだろう。どちらかが先に死んだら残った一人は、どうやって残りを生きてゆくのだろう。何時まで一緒に生きてゆけるか分からないのだから、いがみ合う事は意味のない事だ。