みんなが、心配しています。猫ちゃん

mugisan2004-09-07

 昨日はもう、猫の事で、始まり、終わりました。心優しいだけが取り得のみなさんですもの。ご飯を食べられないことを、気の毒がり、傷が痛々しいことを気の毒がり,大将なんていつもは8時過ぎて覗きに来るのに、なんと6時過ぎにおいしそうな小袋レトルトノえさを、「お慰めにこれをやってください」と持ってきた。早速けさ、抗生物質を混ぜて、半分食べさせた。エリザベスカラーが必要かどうか、観察せねばならないが、物陰に隠れてしまうので、解らない。尻尾がピーンと上を向いているので、まあ元気を取り戻していることは、確からしい。
 台風が来ている。また来ている。雨風が猛烈なんだと。自分の住んでいるところは大丈夫なのだが、貸している家、特にジイジの家が心配。家そのものより、二階に大量に本が積み込んである倉庫が心配。本は亡くなったおかあちゃんのもの。大切に大切にしていて残ったのは、本だけだった。バアバモジイジもそれさえ残さなかった。分骨したお骨だけが残った。それがかえって、あの人達らしくていいかなって思った。形ではなく生きていた姿の中に、その人らしく感じさせるものがあったこと。感じ取る愛情が家族にあったことが、うれしい。失ってしまって初めて、家族としての絆に気がついた。
 家族というものは、そんなものかとも思った。私の心の中に、私の手の技の中に、ジイジモバアバも生きている。私が子供達に伝え残せば、二人の命の証は失われることがない。モノはいつか失われてゆくが、手の技も、心のありようも、その人の身体になじみ、その人と同化して、その人の血となってゆく。あの子の想いでも、私に中に静かに降り積もって、いつか私自身の心となってゆく。私は彼と同化して生きてゆく。
 明日は、受刑者の心の動きをテーマにした映画を親分と、観に行く予定。楽しいものではないけれど、人の心の有り様を学ぶコトが出来そう。ダルクがパンフを置いていったみたいだ。戦災復興記念館。あそこは、ひとりでまともにいけたためしがない。駐車スペースがないに等しいので、結構苦労する.国分町に隣接しているせいもあってひとりで歩くのは、少しだけ怖い。
 TVは朝早くから、台風のニュースで持ちきり。先週被害にあったところがまた襲われている。気の毒に。また農業は被害が大きいだろうな。果実はちょうど収穫期だし、田んぼは稲刈りだし、秋ものの野菜も水につかったらもう売り物にはならない。今年は台風の当たり年だ。あさってから、台風の襲撃にあわせて、親分は青森に出張だ。大丈夫だろうけれど、新幹線は風に弱いから、すぐ止まる。ジョナサンは諸手続きがあって、そろそろ帰らなければならないのだが、台風に向かって行くことになる。本人は『大丈夫だー』と言うけれど、何の根拠もない。『水着きてゆくべきだね』とつぶやいた。これから、こっちに来る。ベランダを片付けなければ。飛んでいって困りそうなものや、落っこちそうなものがあるです。台風はとんでもない台風らしい。あの、りんご台風とほぼ同じルートを同じ時期にやってくる。あの時は青森のりんごの70%が落ちた。オチりんごはどんどん腐るから、売り物にはならない。それを承知で、カンパの形で,りんごを随分買った。りんご農家は大変な思いをした。共同購入会は契約生産なので、こんな事故もおたがいに被ることになる。もちつもたれつであるが、消費社会では、なかなか理解されなかった。自分達の育てた生産者がつぶれたら、又最初から生産農家を育てなければ、無農薬農業と消費者を結ぶことは出来ない、と言うことが、自分はおいしいところだけ欲しい消費者にはわかってもらえなかった。無農薬の業者は、ほかにも沢山あるから、かまわないのだ。生協、モア、アニュー、ラデイッシュぼうや,ヤマギシ、ざっと見回してもこれくらい。各スーパーでも産直コーナーで扱っているから、無理も無いと思った。自分でやってみなければ、物を育てる大変さは、わかんないね。
 私も畑をやるまでは、雨も台風も関係なかったもの。今は、ヤット蔓をだしてきた、晩成のきゅうりが根こそぎやられちゃうかな、とか、ナスが大丈夫かなとか、蒔いた種が流れちゃうなとか、ひっそりと思うもの。ホホホ農婦みたい?気持ちだけ。