台風だよ。又三郎。こんな風の日は君が梢にこしかけているよ。 

ギュダとジョナサン

 大型の強い台風16号が、がんがん進んできた。風が強くて、窓の向こうの杉の木が幹をユッサユッサ揺らしている。風の吹く後が見えるような激しさの中を、カラスが一羽、又一羽ととんでゆく。ああ、この嵐ももうすぐ終わるのだと、あの鳥達は知っているんだなあ。雨がたたきつけるように降っていたのに,9時半前にはあがってしまった。
もう虫が鳴き始めている。自然に生きるものは、身体で判るんだろうな。私達はいつの間にか、身体で感じて自然を読むことを、忘れてしまったらしい。大地に生きることをやめてしまったからなのだろうな。
 あの子の誕生日を祝うことが私にとって、つらかった。師匠娘がいった。「16歳でもうそれ以上肉体は年をとらないけれど、あの子の生まれた日は、あの子が生まれてきたってことは、変わらなく喜ばしいことでしょう。」「生まれてきた日おめでとう」ああそうさ、そうなんだよな。あの子は30日の朝4時半頃から6時にかけてうまれてきたんだよ。随分頑張って、大変なおもいをしながら生まれてきたんだよ、君は。私達にとってこれ以上ないほど、ハッピーバースだったんだよ。
 人の、生き死にには、誰でもドラマがある。それぞれの密やかな物語をただ神のみがすべてを読み通す。たとえ家族でもそのすべてを知ることはできない。あの子の命の物語を、兄弟が引き継いで書き続けていくんだろうな。自分の命の物語の一本の色糸として織り込みながら。
 大風は好きだ。こんな時、被害で人が亡くなっているときに、言うのは、不謹慎だけど、身体を風にさらして、吹き殴られるのがすきだ。強い雨にぬれながらたたかれるのが好きだ。自分が立ち向かってゆかねばならない、自分ではどうにもならない物事を、体中で受け止めているように思うから、嵐の中に突っ立っているのが、好きだ。
 タラの大地に吹き渡った風は、どんなかぜだったんだろうか。「明日はあしたの風が吹く。今日は今日の風にふかれよう」スカーレット・オハラのセリフだけど、頭を高く上げて、あごを引いてみずからのプライドの上にしっかりと立った人が言うから説得力があるんだよな。根底には聖書の「明日を思い煩うことなかれ。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。今日の苦労は今日一日で足る」がある。依存症からのサバイバルを目指している,自助グループには、ジャスト フォー トゥデイという言葉がある。今日一日を大切に といういみである。
 阪神大震災の翌年、子供を失った父親が、遺族の言葉として、この言葉を支えに一日、一日をつないで生きてきた、それが、あの日から今日までの一年の時間だったといった。私がこの言葉を作詞したのは、まさにそんな自分の日々だったからだ。ある、有名な人がメロデイをつけて、聖歌として、歌われている。家族が地獄の苦しみの日々を生きていた時の、私の風の中の叫びでもある。