風邪引きがごろごろ、あっちむいてほい

飛行機雲の影が落ちている

 季節の変わり目なのか、どっちを向いても、頭の痛いやつ、のどの痛いやつ、おなかの痛いやつがごろごろ転がっている。親分は仕事で明日の夜に帰ってくる。元気な人間が少ないというのは、何をやってもダラダラと片付かないということで、見ているこっちまで具合が悪くなってくる。今日は日曜日なのにミサに行く元気のある人間がいない。まったくどうしていつも、半病人ばかりなんだろう。食生活か、精神生活に欠陥があるような気がしてならない。
 一人でぼやいていてもしかたがないから、せめて私一人だけでもまともに暮らそうか。ひきこもりも、うつも、もうたくさん。いいかげんでやめていただきたい。などと思ってみても、笛吹けど踊らず。聖書の通りであるよ。
 ふっとこんなときは、心に触れるものがほしくなる。気分を暖めてくれる文章や、絵が無性にほしくなる。もし、私が森のそばに引っ越したら、こんなときはぶらりと木の間を歩くだろう。風のにおいをかいだり、草の花を見つけたり、木々の間に秋の気配をみつけるだろうか。小鳥の森のある、街にすんでいたことがあった。時間を作っては、子供たちと歩きに行った。車を止めるのは、市民墓地のそばの小道で、幼い子供の名前が刻まれたお墓が、いくつもあった。そこに眠っている子供と、家族のために祈った。
 私たちは、転勤があるから、いろんな街に住むことがあった。たとえいつかは出てゆく街であっても、そこに住む間は、私の町であるから、なにができるか、どんな足跡を残せるのか、楽しみだった。転勤は、重労働だけれど、いつも新しい出会いがあった。街の中を歩くとき、私はこの町が好きになれるだろうか、と思ったし、子供たちが自分たちなりの、風景を見つけて教えてくれるのが楽しみだった。路地や、大きな木や、花の咲く木や、その子なりの出会いがあった。
 もうすぐ私たちは最後の場所を決めなければならなくなる。終の棲家をどこにするのか。無駄のない人生設計なんて、とてもできないから、博打だねとおもったりする。
子供たちは、親が自分たちの生活に、周りを巻き込んでしまわないかとハラハラしている。まだ教育費のかかる 下の二人が、かわいそうなのだ。私は子供のためだけに、教育費のためだけに、親分の一生を塗りつぶすことに、無残な気がしている。もちろん、子育ては苦しみだけではないし、教育は、親としてしてやれる最高の事と思っている。だからそのことは、あまり心配しなくてもいい。私は、親分が毎日を決して安楽な気持ちではなく、むしろ苦しい気持ちで、働いていることが辛いのだよ。管理したり、査定したり、人の思惑が入り乱れたり、純粋に教育現場だけを見ているわけにはいかない。
 組織の中で生きてゆくことがとことんできない人が30年近く、家族のために、働き続けたことが、どれほど大変なことだったのか、子供がいたから続いたんだと思うし、何度かもう止めたいと言いながら、ココまできたんだと思う。本当に、よくやってきたと思う。だから、せめて働いた分で何か彼のやりたいこと、生きてみたいことを、やらせてあげたいと思っているんだよ。
 私は私で、自分の手の届くこと、責任の範囲をわきまえてやってゆくつもり。どうせたいしたことはできないんだから。周りの年寄りを見ていて、もし、自分らしく生きたいならば、もう余り時間は残っていないと思っているよ。自由に考えたり、行動したりできる時間は、そう長くはないよ。
 どこに住んでも、何をしていても、そこを自分の場所、サンクチュアリーにすることは、できると思っている。ただ、仕事でであったお年寄りの姿を思うと、ああなる前に何とか生きる道筋を、生きる場所を作っておきたいと思うのだよ。
 私の最終的な希望は、ターシャだからね。結局孤独な老女が理想なのかよ。まあ、最後まで、聖書を片手に生きてゆきたいね。