さて、学校だよ。姫様ゴー

サンファン・バウティスタ号

 とうとう、学校が始まったよ。夏休の最終日は丸一日、そりゃもう大変なんすよ。
学校の制服何処だっけ。ズック。提出物。宿題の課題が残ってたジャンか。でてくるはでてくるは。しかし、こんなことは,何てことない。かつて,我が家のお兄様方御姉さま方は、それぞれ「もしもし、新学期今日からですが、まだ登校してこないのですが」という電話を、学校から頂いたことがアル。最強は大将。なんせ大学の入学式の日を知らなかった。私はこんな彼が大好きであるよ。確認しなかったものはしかたがないよ、とひょうひょうとしている。おそらくこの人は、こうやって人生渡っていくんだろうなと、思ったら、社会人になって苦労をしたらしく、我が家でも一番くらいに、しっかりモノになってしまった。人間は、必要によって変身するものだと感心。
 親がうるさく言っても、彼はこうは変わらなかっただろうし、彼が自分のペースで生きられたから、必要な時に、自分を変えてゆくエネルギーがあったんだろうと思う。私よりも親分の子供との関わり方が、彼を伸ばしたのだと思った。私は、かなり、うるさいから。子供を潰してしまう。
 姫様は理科の課題で台風をとりあげた。毎日毎日天気図とにらめっこしているうちに、すっかり天気のことにくわしくなってしまった。評価がどうかということよりも、まだ学校で習っていないことを、自分なりに調べて形としてあらわしてゆくことは、彼女に、教えられて学ぶことのほかにも、自分で学ぶことができる、という楽しみを見つけさせてくれたようだ。どうやら、学校では次学年で、気象を習うのらしい。知らなかった。今朝は、ふっと『あれま、実力試験だわ」と言って、学校で少し勉強する、といつもより30分はやくでていった。30分でなにができるかわからないけれど,一夜漬けどころか、サラダか、即席漬けで何とかなると思っている、いいかげんさはまさしく、うちの子らしい。バンガレ。
 泥縄は、我が家の伝統であり、特技でもある。それぞれが、面白い体験談を持っている。人様に迷惑をかけない限り、泥縄でスリルを味わうのも、その人の楽しみ方ではあるな。私のイライラは頂点に達するけれど、やっと黙って修羅場を見届けることができるようになった。ここぞというところで、手を貸して、感激されるカン所もわかってきた。なかなかこれも奥が深いのだ。
 親分は朝早々と、函館に出張した。引越しの直後、荷解きもしていないうちに、不幸があったため、彼の背広を入れた箱がまだ見つからない。一着あいさつ回り用にだしておいた背広(冬服)をとうとうこの夏我慢して着た。勤務は制服着用なので、支障はないのだが、突然私服が必要になると、この騒ぎである。私が手に障害があって、荷物の片づけができない。彼が帰ってきてやるのは、下の部屋に音が響くので遠慮がある。とかなんとか、まあその理由は一杯あるが、とどのつまり、今間に合ってりゃいいじゃんか、といういいかげんな理由である。イナカッペイの「誰さ、ぶじょほうするわけでなし」というせりふが好きである。
 さて、、私も。講演会の原稿を書かねばなるまいて。私は泥縄はできない性分で、前日にタイムアウトを設定しておくタイプ。ダミーを取っておくとなにが起きても、変更があっても対応できるから。ようするに、臆病者なのである。