夏休みがいっちゃった。

夏木立

 とうとう休みの最終日だよ。明日から学校がはじまるよ。なにがなんだか、とにかく忙しかった。コレをやり遂げたという、達成感のないままにすぎてしまったが、今年の夏はしかたがないかもしれないな。心の赴くままに、みんな立ち直るだけで精一杯だったから。私は懐かしい人に会って、辛い話をしなければならなかったし、そのことで、これからの人生をどう生きていったらいいのかを、自分の言葉でかんがえた。私が彼の死を受け入れるまでには、長い時間が必要だった。妊娠期間もふくめたら18年近く愛し続けてきた人が、死んでしまったんだ。かなしむのが当たり前。だから無理して自分を奮い立たせるのはやめよう。ゆっくり、時の流れの中で回復してゆこう。
 セルフ・カウンセリングをやってゆこうと思う。仕事柄、この町の精神科医は顔見知りが多い。彼らを信頼していないわけではないのだが、このことは、治療対象として話したくない。心の深みに立ち入って欲しくない。人は誰でも自らの心に,聖域をもつ。このサンクチュアリーは何人たりとも踏み入れることはできない。神とわたくしの聖域である。心の問題は、人間の力だけでは解決できない。まことの癒しはただ神からのみ来る。そのために、いったん退いて,静まる時間と場所の確保が難しい。林のなかや、海辺や、人の気配の無いところが、ソウル・フィールドとして、必要。それができなければ、精神的に自己解放できるもの、たとえば、絵を描く。文を書く、音楽を聴くなどなど。家庭に居ると時間は細切れになるし、仕事が飛び込んでくるし精神の集中を保つことが、困難であるよ。家庭に居て、セルフ・カウンセリングができれば、主婦のウツは、随分改善されるような気がする。
マ・スールに頼まれた、宿題をあれからずっと考え続けている。まとめて時間が取れないので、考えつづけながら文章を練り上げてゆく。だから、エンドマークがつくまでやめることができない。結果夜中に頭の中が加熱して、うとうとすることになり、朝、できた!と思ってさて書こうとして。はて?この時のむなしさったらない。何のために寝不足になったんだかなあ。ともかく、頭の中で考え続けていることで、ある日全体が見えてくる。それを信じなかったら、こんな怖いことやってられない。