寒いよ。まだ八月なのに

夏の樹

 朝、寒いと思った。去年は、とうとう梅雨が明けないまま、秋になった。今年は季節が、前倒しで早く進んでいるように感じる。畑の野菜が変な具合に、早く実ってしまいあれあれという間に終わってしまう。収穫の期間がとても短いのだ。なんだか変な都市だと思う。虫の害も多い。みんな必死な感じ。静かな異変がひたひたと押してきているような感じがするよ。畑をやっていなければ、スーパーの店頭価格だけではわからないことだったでしょうね。
 オリンピック、あまり見ていないのだけれど、柔道の井上が負けたときの表情が気になりました。思いつめた、内にこもる雰囲気が気になりました。よほど身体のどこかが壊れているような感じがします。きっと無理な体調ではなかったでしょうか。痛々しさを感じましたが・・・・・・・
 アーチェリーのおじさん20年間じっと一つの目標を見つめてきたんですね。そのひたむきさが嬉しい結果になったんですね。後20年頑張って金までたどり着くそうです。他の人にはわからない、見つめ続ける意志の強さに、感服しました。一言言いましたよね「中年の人たちが、俺も頑張ろうって思ってくれればいいな」って。ノーベル賞の田中さんのときもそうだったけど、其処に至るまでの、気の遠くなるような地道な毎日のたゆまぬ積み重ねを、他の人の何倍もの時間、放り出さないで一定の気力で生きてこれたことを、すごいなと思う。あきらめない、なげださない、妥協しない、あせらない。すごいね。自分には無いものを、見せてもらって、オオウすごいと思ったよ。
 めずらしく時事ネタでした。毎日のニュースを見て,思うことはあるけれどそれはここには書くのはやめておく。日常の中の小さなことだけ、落穂ひろいをしてみたいから。私はカトリシャンだから、いつか死んだら、先に帰天した子供たちにまた会えると思っている。その時彼らが生きられなかった日々のささやかな、喜びや、嬉しさや、優しさや、暖かさや、手のひらで包み込みたい思い出を、手渡してあげたいのだ。毎日の暮らしの中で、ただ一生懸命生活していては、それは見えてこない。ポロポロ端からこぼれていってしまう。御伽噺のような御母さんの願い。
 さて秋蒔きの種をまきにいこうっと。大根だね。白菜キャベツは収穫するまでにみんな虫にやられてしまうから、どうしようか。上手い下手が歴然とわかっちゃうんだよな。ブロッコリーも簡単だけど、アブラムシがつくんだよな。無農薬だから、まわりのむしがみんなあつまってきちゃうんだもん。
 とりあえず、レタスはそろそろ食べられるはずだけどな。行ってきまーす。
 ただいま。きのうの風のせいでトマトは支えが倒れているし、食用菊は根っこから風の方向に横倒し。元の形に戻そうと思ったら、ぽきぽき折れてしまった。インゲン豆がまだ取れているし、トマトはバケツに一杯。春菊と,青紫蘇と、ルッコラがとれた。れたすがそろそろ取れだした。まだベビーリーフだけど。サラダにはつかえそう。
 農業センターで、早生の白菜とキャベツとブロッコリーの苗を3本ずつ手に入れた。
今年は虫も多いから危ないかも。でもやってみる価値はある。畑で作業していたら、大家さんが来た。おふくろさんという、煮含めると最高という大根の種をわけてくれた。あちこちに3粒づつ蒔いた。青首大根をまきそこねてしまった。聖護院大根もまきたいのだけれど。まだインゲンが蒔きなおして育ってきたし、秋茄子と晩成のきゅうりもある。トマトをもうすぐ始末すればそのあとに冬菜と大根を追加できるかもしれない。
 畑をやっていて面白いのは取れだすとそればっかり、食卓に出ることになる。どうやったら、目新しい料理として出せるのか、本気であの手この手を考えた。スナフキンはインゲンばっかり、というが、わたしにはきゅうりの方がたいへんだった。しかし、ついにきのう、やおやにいって、ニラときゅうりと、青梗菜と小松菜を買った。悔しかったけれど仕方が無い。転勤して庭や畑に大切にしていた植物を置いてきて、また、戻ってみると跡形も無くなくなっていて、切ない思いをしたことがある。私はできるだけ前の人の残していったものは、大切にするのだけれど、仕方が無いね。
 花をどこかで思う存分植えてみたい。前に、庭一面にハーブを植えて見事に咲かせたことがあった。風が吹くといい匂いが流れて、みんなとても喜んでくれたっけな。
 あんなことがまたできたらいいんだけれど。今植えてみたいのは、オールドローズ。香りの高い花種。バラは気難しくて、すぐ先祖帰りして原種にもどってしまう。大きな花を、安定し手裂かせるにはそれだけの技量が必要。ハートのクイーンだけじゃないよ、ばらにこだわっているのは。
 お昼がずれ込んだので、とんかつ弁当を買った。大好きな子がいたから。結構くたびれたのか、おひるねをしているのが4人。