台風が、過ぎてゆく

サギゴケの花

 昨日の午後から台風がやってくると、テレビはニュースで警告している
 でもなにを、どう注意したら良いのだ。ベランダから植木鉢を取り込んだり、風にあおられてガラスにぶつかりそうな物は,取り除くとか。朝、虫が鳴いていない。やっぱり自然に生きるものは、危機管理ができるんだなあと感動。布団に横になりながら、空を見ていた。雲が青い空に浮かんでいて、どんどん形を変えながら、流れてゆく。あそこを吹き抜けている風の中に、あの子が居ると思ってみた。実はね、明け方あの子の夢を見た。みんなが、茶の間でなんとなく集まってお茶していると、ふっと隣にいつものように、ひっそり腰掛けている。横顔を眺めていたら、頬に涙の後があった。どうしたの?と聞いたら、別に とふっと笑った。いつものあの子のままだった。
 朝みたら、あの子が種を蒔いて、芽吹いた5つのサボテンの最後の芽が枯れていた。
残りのサボテンが無事に育ちますように。どんな小さな命でも、今私はとても敏感に感じてしまう。本当はこうやって、沢山の命と関わって生かされているんだよな、ただ日常の中で、意識し続けることが、難しいだけ。種を蒔き。水を与えながら、植物を通して、慰められていくのが判る。
 私の指に小さな十字架が4つついたリングがはまっている。一つ目の十字架は、21年前に仙台で、14週目で亡くなった子供のもの。二つ目は13年前に15週目に亡くなった子供のもの。三つ目は11年前に福島で12週目で亡くなった子供のもの、四つ目は今年5月16歳で亡くなった子供のもの。親は、子供の死を忘れることはできない。だから、子供の生きられなかった時間を、自分の命に重ねて、ともに生きてゆく。親は、子供が亡くなってしまったからといって、子供の親であることに終わりがくるわけではない。
 私たちは、自分ひとりだけで生きているわけではない。時間軸を、縦にも横にも編み上げながら生きている。一人の人生は、互いに作用しあいながら、響きあいながらなりたっている。だから、一人が病むと、みんなが痛む。一人が立ち直ると、みんなが力を頂く。それに気がつくか、つかないかで人生の深みが違ってくると思う。
 朝、4時頃風の音で目が覚めてしまったので、しんみりとこんなことを、考えていた。
今日のメッセージは「隣人を自分のように愛しなさい」今日は聖ベルナルドの祝日。親分の名の日だ。そして32年前教会で私たちが結婚した記念日。前日19日に親分は洗礼をうけた。この年は聖母被昇天の祝日が移動祝日だった時期なので20日が被昇天祭だった。私たちの家族の出発の記念日は1972・08・20だよ。覚えておきたまえ関係者諸君。
 というわけで、今日こそ、お祝いをせねばなるまいて。
 姫様がどんどん「ののチャン」化してゆく。夏休み終了日までもうあまりないんだよ。おおこわい******バンガレー