虫の声で目が覚めたよ

ギュダのいる風景

 虫の声が時雨のようにきこえる。波のように絶え間なくひたひたと寄せてくる。開け放った窓から流れ込んでくる空気の温度が下がっている。もう秋だなあ。今年は季節の変わり目がやけに身にしみる。あの子が旅立っていって、もう二つ目の季節が巡ってきた。時を数えることが、日課になっている。いつか、ふっと無意識に一日が始まる日がくるんだろうな。少しずつ受け入れてゆくことが大切。心の傷を広げないために。理屈ではなく、そっと手を当てて癒すことが大切。自分のペースを守って。
 結局クリーニングは出せなかった。何か一つ日常的なことをするのがしんどい。軽い「引きこもりたい気分」症状。何かがあれば、エンジンがかかるけれど、そのエネルギーを自前で、まかなえない。何にも感じないで、毎日をそれなりに送れたことは、それだけ恵まれていたってことだね。失ってみなければ与えられていたことさえ、気づかないで生きてしまう。鈍感な自分にいささかうんざり。
 気象予報では、台風が来るそうな。いいお天気は午前中だけらしい。今洗濯機を回しているから、うまくいけば、崩れる前に干せるかも。
 親分はお昼から、お墓の掃除にいくそうだ。彼が教育者として関わっている人びとの中に、亡くなっても御骨の引き取り手の居ない人がいる。その人たちのためのお墓を関わった人たちが御掃除する。日本人というのは、宗教的におおらかで、敬虔で素朴な人びとだなあと思った。伊達さんゆかりの古刹にそのお墓はあるそうな。宗派を超えて供養する気持ちを、わけ隔てなく注げる親分たちに、優しさを感じた。
 自分と子供たちの生活時間のずれが、今のところのイライラの原因。あんたたちは、夏休みでもこっちは休みではないのだよ。寒くなる前にやっておかなければならないことが一杯あるのによ。でも怒るのはやめよう。自分でやれることを淡々とこなしてゆこう。子供たちと感情的に関わるだけのエネルギーはないもの。
 時々ここが私の修道院だと思い返す必要がある。私はここに召しだしを受けたのだと思い出さなければ、何もかも丸めて怒りのままに投げ捨てたい衝動にかられる。そうだよ、今わたしの一番のスズメバチは子供たちだよ。自分らしく生きるために今日一日を命の限りと考えることはできないのかね。まったく。明日という日が、確実に来ると安心しきっている。こないかもしれないとは思っても居ないのだろう。
 でもね、スール・パスカルは、「それぞれの時を見極めなさい、主の示す時を待ちなさい」と言った。自分で動かないうちは、見守っているしかない。彼の人生の時間。私の命の時間ではない。たとえ子供でも各自の命の時間の責任は各々のあるのだ。
 今日の私へのメッセージは「思い煩うな」だった。すべてをご存知の神は私の必要なものはあらかじめご存知なのだから。ああそうだね。今日一日。just for today
であるよ。ベネディクトの根本精神は『祈り 働け」はい了解