御誕生日だよ。ジョナサン

親分自影

 さあ今日はめでたいよ。我が家のジョナサンの20回目の誕生日だよ。
 昔々、大昔、ヒッピーが大手を振ってのし歩いていた時代があった。ウッド.ストックなんてものがあってね、若いっていうだけで、やるせない時代だったわけさ。そのころ、大海原のはるかに上空を一羽のかもめが飛んでいたんだよ。ジョナサンという名前でね。
 昨日本屋にふらりと立ち寄ったら、黄色いケバケバシイ帯に新潮文庫100冊の本。なんて着せられて平積みされていたよ。とっくに、死んでしまった友達に、出会ったような気分だった。
 あの時なんでジョナサンは飛ばなければならなかったのか。地上はベトナム戦争フォークランド戦争、中東危機,アイルランド紛争,ナイジェリア,次から次から戦火がもえていて、やっと、ふっと、平和のにおいがしたんだよ。ああみんな終わったじゃないか。平和だよ世界は。たとえ、火種がくすぶってはいても、大きないくさは終わったんだよ。もう高く飛んでも打ち落とされることはない。地面で寝転んでいても戦車に踏み潰されることはない。ジョナサンの本は、もう売れなくなっていた。かもめが飛ぶ話、それが何だって言うんだ。地に足をつけようぜ。それが、なんでいまさら、平積みになって、新装になっているんだ。こんどはどこの空を飛ぶんだよ。
 ジョナサンの話は、かもめが飛ぶことに目覚める話だ。我が家のジョナサンは、まだ波打ち際で、えさも取れずに、腹を減らし、飛びたいけれど力量も、勇気も、忍耐もまだ持ち合わせてはいない。ただ、不安だけが渦巻いている。飛ぶ前に、誰もが飛び出す前にそこであきらめて、そこそこの空のたかさと、ささやかな餌場を手に入れて満足する。
 ああだけどジョナサン、飛ぶのではなく、飛翔したまえ。舞い上がり、天かける翼をもっていることを、実感したまえ。そのための身の軽さと、強い翼を鍛えたまえ。
 苦しみや、悲しみや、生きにくさがあったから、君は自分の土地から、力を得て上空をめざすことができるのだよ。人は困難を糧に自らをそだててゆく。ゴメンナサイは、安易につかってはならない。なぜなら、行為の結果はそう単純には出ないから。若いっていうことは、それだけで、すごい財産を持っているってことだよ。
 人をひとり産むってことは、大きな目から見れば、人間の社会を変えてゆくことなんだよな。ものすごくプライベートなことなのに。人間社会の基礎的な部分を分担することだ。自分が死んでしまっても、自分が育てた子供が命を引き継いで、社会の一部分を担っていくんだからね。一人が死んで、その手にあった旗が地面に落ちる一瞬手前で誰かが拾い上げてまた掲げて生きてゆく。
 なんて考え出したら、論文ができそうだから、やめとく。というわけで、ジョナサン生きていることを、喜びなさい。生きられなかった者のぶんも、楽しんでおやりなさい。やってみて、一生懸命飛んでみて、命の終わりに、ああやっぱり、これしかないかと思ったら、言いなさい。「ごめんなさい」
 このあと、某修道院に聖書の黙想指導をうけにいきました。なかなか、集中して一心不乱に半日すごすと、あとはもう、テンションがハイにアップしっぱなしになるか、ズどーんと沈没するか。今回は後者。私はどこまで沈むのかしら。と車を運転しながら2004年前の出来事を反芻していました。はっと行きつけのケーキやさんの前でカムバック。ジョナサンのケーキを注文。現実にもどるのに、一瞬でした。
 地震かなーと思っていたら、ニュースで震度3だったとか。ほとんど気にならなかったのは、堅固な地盤のせいか「岩の上に建てられた家」か、それとも集中」のせいか。はたまた、鈍感だっただけか。うん、多分。