我慢して具合が悪くなる前に

とうとう負けてクーラーをつけたけど。自分のためというよりデグーのごんちゃんが毛皮でばてているので、気の毒だから。姫は今日は運動会の総練習で、この暑さの中大変だろうね。子供たちが幼かったころ、この時期をことなく過ごすことができたらあとは秋まで何とか頑張れたものだった。みんな大きくなって一番強かったはずの親が、一番たわいもないものになってしまい、情けない。

プロフィールの写真

おばけみたいになっているのはなんで?変えたいんだけれどうまくいかない。このPCとことん使いにくいなあと思ったりする。いじくって仲良くする時間もない。単なるワープロみたいなものかな
久々に大好きな絵をファイルの中に見つけたので張ってみた。姫の作品。連作の中の一つ。

花は咲く

どんなにひどいことがあっても花はその時が来れば黙って咲く。何もなかったかの様に精一杯に咲く。たとえ明日切り倒される身であってもただ満開に花は咲く。近所にやがて切られる大きな桜の木がある。道路のために周りはみな整備された。工事がまだそこまで来ていないのに周りはみな整備され、持ち主の家屋敷も更地になった。せめて今年は咲かせてあげたい。みんなの願いがかなったのか、さくらは咲いた。もうすぐ工事がそこまで伸びてくる。移転の話もちらほら在ったけど、多額の移植費用をだれが出すのか、はたまたあんな大きな木が移植に耐えられるのだろうか。意見はいろいろある。ただあまりの花の美しさに用もないのに何度もその道を通った。出会いというものがある。人にも、生き物にも、そして樹にも。

講義の原稿一回分完了

久しぶりでなんとミスタッチが多いことかと、うんざりした。とにかく終わった。来月は三か所あるから、いやはや。七月まで、かなりの準備をしなければならない。締め切りを破ったことがないのがたった一つのとりえかもしれないから、私頑張る。私の専門は「自死」「自死遺族」「自死遺族支援」「サバイバー」のリカバリー。生きることの意味を考える毎日。死ぬな。と言えたら、そしてその言葉がちからを持ったらと願う日々。

事故から一年以上たった

やっと自分の保険屋から「弁護士から連絡が入りました」と電話が来た。見事に自分の保険屋も、相手の保険屋もこの一年二か月、私に連絡を取ってこなかった。こんなことのために高額の保険料を支払ってきたのかと腹が立った。何も私は悪くなかったのにと、いやな気持ちだけが残った。横断歩道の前で歩行者がいたから止まっていたのに後方から追突された。全損で、車は大破。一年以上通院した。しみじみと不満が残る。不満分子ここにあり。

久々に自分の原稿を書く

自分が何を書きたいのかではなく、何をまとめなければならないかだけでPCに向かっているから、いざ文章をまとめようとすると、言葉が出てこない。まるでカバンにぎゅうぎゅうに押し込んで,カバンのふたに乗っかってカギをかけてしまったので、言葉がみな押しつぶされて、私は哀しい気分になる。


今日は何とか土曜日の講義の分の原稿を造ろうと思う。今日まで追い込まれたのもわたしらしくなイなと思う。仕事が変わって今まで以上に自分の時間を自由にならなくなったことは大きかったな。体にゆとりが亡くなった。今までフットワークは良い方だったのにな。


それでもやめられないことがいくつかある。教育の現場にかかわること。美術館に通うこと。自分の世界を持つことができるチャンスは私にとって水を飲むようなもの。空気を吸うことができなければ生きられない。

気持ちがふさぐとき、無性に絵の前に立ちたくなる。

服装

 今まで私の基調色はグレイ、黒、紺、ベージュ、白でした。そのバリエーションで十分変化も満足もできました。おととし、どうしても朱赤のコートがほしくなり探してグラニフのコートを買いました。今年グリーンのスカートを手に入れました。コットンの張りのある生地なので元気に見えます。今までの服にさし色として元気な色を足してゆこうと思っています。自己主張というよりも、私自身が色味がほしくなったのです。きっと自分自身が年老いてゆく中で無彩色になってゆくことに対して、「私らしくありたい」「ここにいるよ」と言ってみたくなったのかなと思います。
 毎年復活祭にはゆで卵に絵をかいてお世話になった方たちに差し上げているのですが、その色合いやデザインがより淡く、可憐で彩の明るい絵になっていくことに、ああうれしいなと思います。私はきっと美しいもの、とげのないもの、明るいものにあこがれているのでしょうね。