ずいぶん長いことご無沙汰しました

 去年の二月追突されて、車が大破し、13年続けた仕事をやめ、一年間治療しましたが、症状固定で痛みはそのまま。三月に母が亡くなり、心の中が寒くて、気ままな文章を書くゆとりもないままに過ぎました。四月から新しい職場で、自分の技術を生かした仕事に就き、今年もまた。もう一年の契約を結びました。そろそろ、自分の心に新しい風を吹き込むままに開け放ってもよいかもしれないとパソコンを立ち上げてみました。



 また気ままに心の中の言葉を書いてみようかなと思っています。人とかかわる仕事をしています。私はきっと人間が好きなんだと思います。生きることが好きなんだと思います。有り余っている暮らしではないし、体力バリバリでもない。そんな私だから、きっと見えてくるもの、感じるもの、言いたいことがあるのだと思います。



 思えば遠くに来たもんだ。誰かが言っていました。武田鉄矢さんの歌だったと思います。本当にこんなに長く歩き続けるなんて思いもしなかった。私の職場ではおそらく最年長であろうかと思います。そんな私が違和感もなくいることができるのは人の心を扱うことを生業としているからでしょう。私は魔女だ。だからちょっと周りと違っても構わない。不思議な人であっても構わない。そんな立場が気に入っています。

シンポジウムで

シンポジストとして何をメッセージすればよいのかをしみじみと思いました。人の生き死ににかかわることを生業として生きてきましたが、人生はそんなに思い通りになるわけでもなく、まして成功なんて誰が保証できるものでもなく。何をもって勝ち組とし、何をもって負け組とするのか。言葉だけがおろかに通り過ぎてゆきます。

私たちの国は平和憲法を今捨てようとしているのだろうか。揺さぶられてその道に駆け込むのだろうか。私は子供たちにせめて人を殺さなくても生きている道を残して死にたい。

やっと夏休みを取って

明後日のシンポジウムの原稿を書きました。今日は夏休みを取って一日PC仕事です。今朝はいきなりの警報で胃が痛くなりました。人はそれぞれの人生を生きていますが、またあの軍靴の足音がこの国に響くのかと不安でなりません。戦争を知らない時代に生まれた私ですが、親はあの大戦を体験しています。私のたった短いこの人生の間だけの平和だったのでしょうか。悲しみの聖母の記念日に心から、愚かな戦争を二度としないことを祈ります。

明後日2000年から続けている

いのちの授業をします。今その準備をしています。転職してから三か月。片道二時間の通勤も、お弁当作るのも慣れてきました。何が楽しいかというと、この13年間タブーだった化粧と、スカートが戻ってきたことです。

もっとも荷物が多いので中型のリュックを背負ってさらにスポーツタイプのナイロンのショルダーバックを肩にかけているので、山歩きスタイルで、ヒールを履いてというわけにはいかず。

ビルケンシュトックのバレーシューズを履いています。トリッペンはさすがに足が蒸れるので一日履きっぱなしというわけにもいかず。サンダルは重い荷物を背負う足元が不安定になるので。ハシュパピーの紐靴タイプのサンダルなら良いかな。とか楽しくって。スカートひらりとやってみたいのです。

結婚した時の気持ちを

覚えているのかと聞かれると、戸惑います。あの時自分は十分理解してこのことをするのだと思っていましたが、今ここにきて、あの時思っていたことが果たしてどの程度現実的だったのかと思うのです。人はそれぞれのイメージでしか物事を予測できないのですから、何の経験もなかった私たちが、いきなり結婚して、果たしてうまく生きてゆけるのかもわからないことでしたのに、よくもまあ無謀であったことかと思います。

何はともあれ、今日は親分と、姫と三人で「ターシャチューダ」の記録映画を見てきました。先日亡くなったままにどこか生き方が似ている人で、ママは離婚はしませんでしたが、ヒヨコを胸に抱えて育てたり,蒔絵をやったり絵をかいたり、畑をやったり、何となく似ているのです。まあ何はともあれ私は彼女の生き方が好きでなくなったときはとても悲しくて、いつか母が無くなったらこんな感じかなとさえ思ったことでした。