あっという間の一年だった

仙台駅付近も変わった

 今年もたくさんの人を見送った。さまざまな人生がある。生きていたことを受け入れられなくて、死にたいを口癖にしていた人が、いざとなった時、どのような心境になるのか。また、生きていくことしか考えないといった人の最後がどうであったのか。死の直前の沈黙の時間が痛みでかき消されていく事にやりきれなさを感じたり、本当にこれでよいのかと思いつつも、本人が何も語るまいと固く口を閉ざして旅立とうとする姿に胸を突かれたり。認知症の人であっても、その終焉はその人なりの姿なのだから、心の中に何が起こっているのかは、その人その人で異なる。


 私ができることは、いかにその人生を自分なりに再評価して、そこにあったはずの平和や自分なりの喜びをもう一度手に取り戻し、見つめ、ほっとする。ああそれなりに自分の人生は善きものだったということに気が付く時間を持てる。そのような終末期を「恵みの時間」とできるように、支えることだと思っている。


 人生は夢のように始まり、夢の中に終わる。生きることは現実なのだけれど、もしかしたらそれさえもこの壮大な宇宙の中では一瞬のことかもしれない。ささやかな私たちの人生。しかし私にとって、それは何物にも増してかけがえのない時間。人は幾度も挫折し、幾度も命を疎ましく思うことがあっても、その最後の瞬間に、生きてきた事をを受け入れ、暖かな思いで旅立ってゆく。
 一人では無理であっても、誰かが傍らでその最後を見守ってくれるならば、それは可能になる。ある医者は私を「死なせ屋」と呼んだが、それはある意味で正しいのかもしれない。侮蔑であっても、医師と私は同じ命の瀬戸際の対岸に位置すると考えるならば、そうとしか呼べないのかもしれない。


 信仰の根底にあるものは、「死んでも死なない。肉体は滅んでも命は滅びない。」それをたわごとと思ってもいい。無残な思いで命の締めくくりをするよりは、むしろ愚かな喜びの中に終わりを迎えられる方が、残される人に救いがある。死んでゆくものが最後にできることは、自分の死によって、生きることの喜びを、残される人に手渡すことである。
 死んでいくものが「あなたがいてくれたから、私の人生は豊かだった」と思えたら、残される人は生き続ける勇気が湧く。それができるのは唯一死んでいくものだけである。最期の贈り物は、生き残るものの人生への自己肯定感である。あなたはそのままでいいのだという証明である。