友の死がちかい

2才(大)   佐藤忠良作

 いつかこの日が来ることはあらかじめ分かっていたのに、いざその気配が感じられるようになると、胸が苦しい。もう二度と会えない。もう二度と話をすることも出来ない。死はそのすべてを手の届かないところに取り去ってゆく。人は出会い、分かれる。その繰り返しが人生なのに、死はその別れを決定的に刻み付ける。特別に別れを心に刻む。その人の人生と私の交差する時と場所はあらかじめ用意されているのだろうか。私のその日も又誰かの人生と重なって別れてゆくのだろうか。死の時間を共有することで忘れることが出来ない鮮明な記憶が残る人と、出会ったことも、名前さえ忘れてしまう人との意味の違いは何なのだろうか。ともに私の人生を構成しているものなのに。


 私が初めて弔辞を読んだのは9歳の時だった。子供会の6年生の女の子が亡くなって、その時、子供会の代表として弔辞を頼まれた。脳腫瘍で亡くなったその子がどんな思いで亡くなっていったのかはその時私は思いいたることはできなかった。ただ自分の悲しさと、その子の人生の短さを嘆いたような記憶がある。死はまだ私の意識の外にあるものであって、自己の内部に内在するものではなかった。それから長い道のりを歩いてきた。たくさんの人生と交差しながら、私の人生もやがて終わる。その時誰の人生と交差しているのかは、今の私にはわかりようもない。ただ受け入れて「はい」と旅立ってゆこうと思う。あらがわずに。