アスンタ

七夕飾りが手をつないで

 聖母マリアが天に帰って行かれた日を私たちカトリックでは記念する。この世において私たちが体験するであろう苦しみのほとんどを体験して生きていかれた姿は、私たちの人生をしのぎやすくする。

 未婚の母、困難の中での出産、エジプトへの逃避生活、下層労働者としての暮らし、反社会的な息子、息子を殺される母、息子の弟子との暮らし、迫害、などなど・・・
およそ人間の女が体験するであろう苦労や悲しみのあらかたを体験なさって生きておられた。私たちが自分の人生の中でそのどれかに遭遇した時、ふと「マリア様ならどうなさっただろうか」と思う。そしてその足跡をたどって生きていこうとする。


 女が生きていくということは、男が生きていく事とは異なった重荷がたくさんある、ジェンダーとして抱える重荷のほかに、産む性としての役割の中で生き物として体験する事々もある。それは男女の性差による生物学的なことなのでイデオロギーの問題ではない。その中で、どう生きたなら自分だけではなく共に生きている家族も、周りの人も幸せに生きてゆけるのかと思う。

 私たちにとってマリアの存在は人として描く生きた人の道しるべでもあるのだ。だからこそ、天に帰って行かれたこの日を柔らかな気持ちで祈りの中に過ごしたいと思う。私たちにとって、やはりお母さんそのものの姿だから。