人生を自由に生きていきたいと

ゆうぐれの帰り道

老いた人が言う。生活保護を受けての暮らしが自由なわけがない。結婚し、親になり、夫婦別れして、いつかホームレスになり私たちの仕事としての関係機関に助け出された。もうかなりの御高齢だから、残り時間はそんなにたくさんあるわけではないが、体が少し調子が良くなったと感じているらしく、このごろ盛んに「どこそこに行きたい」「あれがほしい」というようになった。そしてその気持ちを支えているのが「自由に生きていきたい」という言葉だ。それは満足して死んでいきたいという願いにも通じている。

 限られた時間、限られたお金の中で、彼の願いをどのようにして実現したらよいのか、私はしばしば逡巡する。


自由人という言葉は限りなく厳しい自己管理を求める言葉だ。この言葉の持つ厳しい求めを果たすだけの体力気力があるのか。支えるものとしての私は言葉に詰まる。