日中は仕事

 日中はケース一件。もう一件あったのだけれど緊急入院したまま退院できない。閉鎖病棟なので逢うことができない。元気になって戻ってこーいと思う。このところ精神的や身体を問わずギリギリまで辛抱していきなりの緊急入院をする人が目立つと感じている。自分の限界まで頑張らなければ、もっと辛い状況で頑張っている人に申し訳ないと思うらしい。不幸比べで、まだまだ自分はましなのだと我慢する空気が満ちているように感じるのは、私だけだろうか。

 訪問先で「ロヒンギヤ」を知っていますか?と問われて、言葉に詰まった。まだ自分は恵まれているから、何も言えませんよねとその人は言う。私は、それは違うだろうと思う。彼らの悲惨と自分の悲惨を比べてみても、彼らも救われないし、自分も救われない。本当に気の毒だと思うならば、自分と彼らを切り離して考えることから始めようよ。自分の人生を立て直しつつ、その中でも彼らに何か手をさしのべる方法はないかを考えていこうよ。先の長い話になるよと話す。幾世代もかけてできてしまった差別を、解消してきちんと権利を回復するためにはまた幾世代もかかる。その前に、個人が個人を助ける方法を考える。マザーテレサの手法だ。まず一人。そしてまた一人。一掴みの砂糖であっても、ひとつの家族の喜びとなる。たとえ一回の食事であっても。ハチドリのように、私は私ににできることをする。組織を動かす人がいて、大きな力で物事を解決してゆく。小さな一人が小さな力で小さなことをする。そのすべてがその精一杯のことをしていったなら、その時不可能に思えたことが可能になるのではないのだろうか。


 日々の仕事の中で、感じていることを、つぶやいてみた。