一人暮らしの人が

モールの前庭

 お誕生日を祝いたいという。家族とは遠い昔に離別した。この人が生きていようと、亡くなってしまおうと関心を示す人は誰もいない。残すべきものも、残したい言葉も何も持たない。ただ一人で扉を閉ざしてひっそりと生きている。その人が、自分の誕生日をお祝いしたいと言い出した。もうすぐ75歳になる。
 過去に倒れたとき、主治医から、「こんな生活をしているんだから、75までは生きられない」と言われたことがある。その言葉が胸に刺さって、その病院からは離れてしまった。どのようないきさつかはわからないが、その言葉が心に残っているのだけは私にもわかる。だから、75になったら、毎年自分で自分に生きているお祝いをしたいという気持ちも理解できる。ささやかなことであっても、生きていることを記念したいという気持ちは大切にしたい。誰かが自分の命を喜んでくれるならば、明日も、その次も生きていていいんだと思う。それはその人の実感だから、他人がとやかく言うものではない。

 ただ、この人は人生の旅の中で、やっと自分の命を祝福する気持ちに立ち至ったのだと思った。まだ誕生日当日の前ではあるけれど、今日が訪問日だったので「お誕生日、おめでとう」を伝えた。にこにこ笑ってうれしそうだった。この言葉をこの人が過去に聞いたのはいったいいつだったのだろうかと思った。