重たい日常の中で

教会のさつき

 さわやかに一日を送りたいと思う。朝目覚めて、自分が今日生きていることを当たり前のことと思えなくなったのは、震災の後だと思う。それまでは頭では、言葉ではわかっていたけれど、実感として「ああ、この一日をいただいた」と思う。そしてこの一日をいとおしいと思う。何が待っているのかわからないこの一日であっても、自分の命を生きていくことに感謝を感じる。一日の終わりに、しみじみと疲れても、何かが心の中に愛しさを残してゆく。生きていくことが恵みであると、あの日を境に本当に身に染みたのだと思う。


 若くして旅立った息子のことを思うと、申し訳なさが込み上げる。代わってあげられるものならば、命の蝋燭を取り換えてあげたかった。なぜあなたがこの世にいなくて、私が生き続けているのだろうか。命の順番がどこで狂ったのだろうか。静かにこうべを垂れて思いめぐらす。せめて、この一日さわやかな思いで生きよう。あなたが生きたかったように、あなたが願ったように。