祈りとは何か

聖木曜日の燭台

 私たちは祈る。心を振り絞って日々の思いを祈る。ある時はただうめくことしかできなくとも、とにかく今、私は祈りたいと思う。全てのなすべきことをなして、もはや何もこの手に残っていないとわかった時、ああ、私にはまだ祈るということが残されていたと気付いた。祈りこそ私にとって最後の、もっとも強いよりどころだった。
 その体験から、私にとって、祈りは命を支える最強のものになった。生きていることの証、いきていることのエビデンス、生きてゆくための力。言葉ではなく、静かに神の前に立ち尽くすこと。そして自らのありかたを、その中で私は見つける。今、ここにこうしている私は、もはや自分自身に誇るべき物は何もない。
 祈りを生きることはもしかしたら、人間の欲望を捨て続けてゆく作業なのかもしれない。人は何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでゆく。どんなに執着しても何一つ持ってゆくことはできない。