困ったちゃん

 この頃、なかなか相手の言うことを理解できない人が増えているような気がする。どうしてこれだけわかりやすく説明しているのに、そういう聞き方をするの?そんなこと言っていないよ。と行きくれてしまう。

 最初に本人が聞き取ったと思い込んだイメージを集成できないまま、ことばをかわすたびに混乱が起きてしまう。途中で投げ出したくなる。勿論投げ出さないけれど。一日の中で相手は変わっても起こることは大差がない。障害というものはこういう生きにくさを抱えるものなのだとわかっていても、知的、精神、認知の三障害の人々の間をぐるぐると訪問していると、夕方には自分jが何かすっきりとした清冽なものに出会いたいと渇望していることに気が付く。


 そんなとき家族の中で気持ちが通い合わなくなると、もう何もかもみじめで重くてうずくまりたくなる。そしてつくずく人間は障害のあるなしにかかわらずバベルな生き物なのだと思い知る。困ったちゃんは私たち一人一人のことなのだな。