タイムスケジュール

同じ季節に 波乗りする

 復興支援あと1年とニュースでは繰り返し言うが、あの日から5年で復興が完了するなどとはだれも思ってはいない。打ち切られたら、と不安をあおられる感じは否めない。

 被災地はただもらうだけではなく、自助努力もし、私たち自身の収入から復興税も払ってきている。被災者であるということに胡坐をかいてほしい欲しいと言っているわけではない。それでも「被災者はずるい。もらうばかりで遊んで暮らしている」というつぶやきが聞こえてくる。想像でものを言わないでほしいとつらく思う。

同じ被災者であっても私たちのようにまったく支援物資を何一つ受け取ることなく自力で暮らしてきた者たちもいる。壁が裂けてはいても、玄関が閉まらなくなっても、家じゅうのものが崩れ壊れても、さらにさらに悲惨な人たちがたくさんいた。その悲惨な人たちを前にして、私たちには権利がないと感じた。あの悲惨な体験をした人たちを、支援を受けているからと、いったいどうして批判できるのか。

 あの痛ましい現実を生き延びてきた人たちを誹謗中傷することは人として許されることではない。だけど、現実には義援金をもらった、いろいろモノやお金をもらったと、つぶやく声が今まだ聞こえてくる。人は心に妬みという闇の魔物を飼っているらしい。そいつは周りの利にさとく自分がどうであれ、誰かが利を得ると、それが自分には必要のないものであっても妬ましく思う。その気持ちは一度芽生えるとなかなかなくなることはない。それがある限り、自分自身も穏やかな心を失ってゆく。


今、私たちは日常的にはあの日を乗り越えてきたかのように見えるが、あの日を境に失ってしまったものを取り戻すことはできない。


まだ海中深く、あの予告された宮城県沖地震のエネルギーは残っているという。同程度の津波を起こす地震が再び起こる予想状況は変わらないと言う。ああ・・・そうなんだなあ。
又来るのか。私たちが生きているうちにきっと。


窓の外に雪が降っている。あの日大きな雪がどんどん降っていた。今日の雪は細かくまるで白い霧のようにベールのように降る継いでいる。この寒さは同じだ。私たちはあの日に心が戻ってゆくのを止められない。ただ思い起こし、祈る。