今日はグリーフケアの日

映画館の場内灯

 自死遺族のケア活動を始めて9年が過ぎた。その間にどれくらいの方の嘆きを聞いてきたのか。統計の数では測れない量の重みがあった。人の悲しみはそれぞれが自分で抱えなおしをして生きてゆく。他人が支えるといっても、外から何ができるのか。まして月二回のケアではたかが知れている。それであっても、いつもの場所いつもの時間にそこに誰かがいて、自分の繰り返す悲しみを抱えてくれる。その安心感が今日を生き延びさせる。この世に悲しむ人がいなくなることはない。悲しむ人が又次の慰める人になってゆくことが自然の流れなのだと思う。
 カトリックには「傷ついた癒し人」という召命を受けた人がいるという。その人の傷を通して何も語らなくても自らの傷と向き合う力を支えてもらえるような存在。もし、そのような召命があるならばと心から願う。この悲しみに意味があるのならば、生き延びた多くの遺族たちも又人生を取り戻すだろうから。