雛祭り

木立の向こうの昼の月

 暖かな陽射しの中で、風に吹かれた。風が冷たいのはまだ冬と春の入り口が一緒にいるから。一緒にいる分、空気が入り混じって、陽射しは暖かいけれど、首も手もしっかりガードしなければジンジンしてくる。
 幼いころ雪国では小さな水の流れが雪ノ下から顔を出して、その水のへりにフキノトウが、薄緑色のまあるい姿をぽくんぽくんと見せてくる。茶色の外皮がはがれ、その下から薄いみどり色が見え、やがてひらりひらりと花弁のように咲いてゆく。そのころになると、雪柳の灰色の芽がふんわりとつややかな毛並みで枝に並んでいる。もうすぐマンサクの花も見えてくるだろう。


 ひと冬はいた重たいゴム長靴を、普通の靴に履き替えて外を歩くと、その軽さにどこまでも走れるような気がした。私たちは長くつに対して短靴と呼んでいた。今日履けるか、まだ無理かと毎日外を眺めていたあの気持ち。春は心を浮き立たせる待ち遠しい季節だった。
 道が渇き、あのころはまだ道路は土のままで舗装されているのは街の中心部だけ。土が乾かなければ短靴ははけない。やがて土が乾いて風に土ぼこりがまかれるようになると、女の子たちはゴムまりを持ち出して、足の下をくぐらせたり、スカートでくるんだり、あちこちでマリつきをする。花柄のマリは高かったが無地のマリのほうがよく弾んだ。皆が皆買ってもらえるわけでもなくその大きさもまちまちだった。まりを持っている子が、マリを持ってくるとそこに駆け寄ってマリつきが始まった。その子が帰るとそこであそびはおしまいになる。
誰もそのことに不足を感じることもなく、ねたむこともなく淡々と受け入れてそこにいることを楽しんだ。