さようなら

春は分かれの季節。自分がその土地を去ることの多かった人生であったけれども、今年ばかりは、たくさんお方とお別れすることになる。NPOの役員でも、身を引かれる方が多い。家族の看病がその理由なのでこれからが正念場なのだろう。今まではチームとして一緒に誰かがそばにいて、支えたり支えられたり。孤独に耐えることはなかった。これからは、御家族が協力し合って支えあっていくことになるが、外からの風が吹き込まなければ苦しいこともあるだろう。たまには外からの風になってあげたいと思うのは、私の勝手な独りよがりで、本人にとっては迷惑な話かもしれない。


 自分の生き方としては、もっとドライに、さりげなくさらりとと思う。自分があまり濃厚な人間関係を作らないようにしてきたので、そう思うのかもしれない。三年ごとの転勤者暮らしを繰り返してきた。ぶつぶつと人間関係が切られて、見知らぬ土地で否応なく生きていかなければならなかったから、あまりにもドライな人間関係にならざるを得なかったのかもしれない。特に親の代からの転勤族だったから、人生はそういうものだと身に染みているのかもしれない。長く一つの土地に縛られることもない代わりに、愛着を持つ土地というものもない。故郷を熱烈に恋しいと思う感覚が薄い。遠く生まれた故郷という感覚のない人間には、しがらみがない反面、いとおしく思う土地風土がない。


 いつかこの街を私たちはまた去ってどこかに住む。そこが終の棲家になるものやら、最後はまたどこかにたどり着いてそこが終焉の土地になるものやら分からない。人生は旅だというけれど文字通り私は旅人で生涯を終えるのだと思う。これから幾度さようならを伝え、さようならを聞くのだろうか。春は私にとって別れの季節そのものだ。