月二回の遺族支援の日

夕暮れと夜の間に

 毎月第一土曜日と、第三水曜日は自死遺族の支援をしている。この街の片隅に、小さな場所がひっそりとあることが何かの役に立つことを信じたい。たとえ誰も来なくてもこの場所に待っている人がいて、ほんの少しの時間であっても黙って話を聞いてくれる。そこでは何を言っても非難されたり、教え諭されたりはしない。そう願って、深い共感と沈黙と、安心がある場所を保ち続けてきた。


 あの大震災の直後も使える場所を探して続けてきた。そのことが私たち自身のこの震災ではたしてきた役割の一つでもあった。津波地震で命を奪われた人々と、その遺族がこんなにもたくさんいる中で、自ら命を絶った人のことを語ること、悼むことは自死遺族にとっては身の縮む思いだった。多くの遺族がそうつぶやいた。同じ命同じ人の死であってもその状況が異なれば、扱いも社会の目の向け方も違う。痛いほどそのことを感じたこの4年間だった。だからこそ私たちは自死遺族に寄り添う活動を続けてきた。命をいとおしいと思うから。生きることを共に味わって自分もまた生かされてきたことを知っているから。



 悲しむ人の横に座って、悲しい風景を感じている。そのわずかな心の触れ合いが、お互いの中の生きる力を再び湧きあがらせてゆく。人は人のぬくもりを感じ取って自らの命がまた燃え出すことを忘れてはいけないのだと思う。
 私もまた今日の命を生きることができた。明日が来るとはだれも確信はないのに、あたかも当然のことのように明日のことを決めてゆく。夜眠って目覚めることのない朝がいつかは来るのに。今日私は誰かのために自分の命の時間を分かち合っただろうか。