今朝は曇りかと思ったのに

逆光シリーズ けやき

お昼近くになったら、すっかり雲が切れて明るい陽射しが差してきた。洗濯も乾くし、何よりも気持ちがふわっと軽くなる。太陽が隠れると身震いするくらい寒い。光があればこの季節外にいたほうが気持ちが良い。
 老いた人に「自分の居場所と思える場所が少なくなった」と、今朝訪問したら訴えられた。一人暮らしのその人は全くどこにも行く当てがない。病院は嫌い、コミニュテイ・センターは行きたくない。第一話が合わないし、家族のないものには家族の話は聞きたくもない。依存症があるから飲みに行くのも、ましてゲームセンターやパチンコはご法度。誰も友達と呼べる人もいないし、遠い昔に家族は崩壊した。自分の親族からも疎まれている。
 孤独死しても誰が発見してくれるのだろうか。地域包括も生活保護課も自分は会いたいとも思わないし、受けられるサービスを自動的に受けられればそれ以上のことは望まない。
寂しさは耐えられるけれど、いまさら新しい人間関係を作ろうとは思わない。
 この人の言い分を聞いていると、過去に人間関係でたくさんたくさん傷を負って、今一人になってしまった自分は、新たに傷を負ってもその回復を助けてくれる人は身の回りにいないから、傷つくことよりも、寂しくても孤独であってももう関わりを持ちたいとも思わない。ということらしい。人一倍話し好きで、会いに行けばいいたいこと、話したいことがたくさんあるのに、それでも一人の生活を選ぶ。訪問カウンセリングのサービスがもっと普及すれば、恐れずに新たな人間関係をまた結ぶ勇気が湧くのだろうか。
寂しさとともに生きることに変わりはなくても、ふっとやさしくなれるならば、もう一度人は人とかかわっていけるのではないのだろうか。かかわること、かかわらないこと、共に難しい選択だけれど・・