心の原風景の話

 人は誰も心の中に原風景を持っている。都市工学の授業の時教授がその話をしてた。なぜ遊牧民が移動するたびに混乱しないのか。なぜロマが移動しながら心の病にかからないのか。なぜユダヤ人が民族として移動生活を受け入れられたのか。彼らはまず移動すると、まったく移動前の生活空間と同じレイアウトを再現して、家の中は自分のテリトリーであることを確保する。意識の中に居場所が確立すれば、たとえ外界が他の土地であっても、人の心は安定する。そしてもう一つ、心の中に原風景を持ち、故郷を抱いて暮す。
 変えていく現実の生活の場と、いつか帰りゆく魂の風景がしっかりとあるから根なし草にはならない。日本の転勤族の子供たちが、居場所を変わることを拒否して、父親が単身赴任をし、いつしか家族が家族としての性格を変えてしまったのは、もしかしたら、この移動生活の人々の知恵を持たなかったからかも知れない。
 私たちは子育ての時期に短期間で転勤を繰り返してきた。最後の何年かは一年ごとの転勤だった。しかし写真を見ると、ほとんど同じレイアウト、同じ家具に囲まれて暮らしている。心の生活の場は移動前とほとんど変わらないまま、暮らしの入れ物だけが変化していった。だから、家族が家族として崩壊せずに立ってこれたのだと思う。
 私自身の心の原風景は雪景色だ。一面い雪が吹きすさび風が吹き渡る。または空を覆い尽くす雪の片が舞い落ちて一瞬にして風景をかえてゆく。粉雪が空中できらきらと光りながら音もなく降り注ぐ。窓ガラスに氷の模様が走ってゆく。数え上げたらきりがないほどに、私は雪の風景が好きだ。展覧会にいって、そこに一枚の雪の風景を見たら、それだけでここに来たかいがあったと思う。この絵に会いに来たのだと無条件に思って幸せになる。とことん私は雪の風景が好きで幼いころから雪の風景が心に沁みついているのだろう。