DIY

 いくつか必要なものがあってDIYに行ってきました。そこで探し物は見つからず、というより購買意欲がうせてしまい、クリスマスのオーナメントとカード用のシールとマスキングテープを買ってきました。クリスマス柄はもう30%offになっていて、これから使うのにちょっとお得感がありました。マスキングテープは姫の方がはるかに使いこなしていると思います。ほんの少し貼るだけで自分らしさが出せてこれはうれしいものです。何とか自分も使いこなして達人になりたいのですが、頭が固いのか「貼りました」になってしまいがっくりです。いろいろテキストは売っているのですがそれを買って真似てみてもなあ。オリジナリティがほしいのですよ。「開けごま」で自分の扉が開放されたらいいのにな。これって、コラージュをやっているときの開放感があるような気がするのです。箱庭療法に通じるものがあるのかもしれませんね。


 今日お店でクラッとなったのは24本の骨の傘でした。なんてこともない傘なのですが開いた時の形の美しさにくらっとなってしまいました。普段車に乗っているので、めったに傘はささないのですが、傘は好きです。あの開いた時の隔離感が好きです。自分だけのバリアーに包まれたように感じます。心がくたびれているときは大きめの傘をさして一人で雨の中を歩きたい衝動に駆られます。でも大人なのでふらつく時間もなく、目的なしに歩く体力もなく。たぶんもう少し年齢を重ねて、認知症が発症して、徘徊するかもしれないけど、きっとその時は、お気に入りの傘をさしてどこまでもどこまでも歩くような気がします。傘を見てふと思い出したことがありました。



 徘徊つながりで、この前こんなことがありました。歩き回る人に目的地を訪ねると「おうち」と答えますが、その人のおうちが何歳の時の、どの場所にあったおうちなのかはわからないそうです。まずその人自身が何歳の気持ちで歩いているのかがカギになります。先日、たまたま介護用の人形をあやしながら、歩いているご婦人に出くわしましたが、その人は若い母親のころの自分に戻っているようでした。一本先の路地で人を探している様子の施設職員に、「歩き回っているご老人を見かけませんでしたか」と聞かれて教えてあげましたが、ふいっと居なくなってしまうと路地一本違っても見つけられないものなのだなあと思いました。幸いその人にとってのおうちは今住んでいる施設だったようで建物に入ってゆく後姿を見て二人でホッとしました。団地の中の小さなグループホームは閉じ込めない方針の所が多く、こうやって彷徨い出てしまうと必死で探さなければならず、それだけ人手がかかるのだそうです。でもそうやって彷徨える人は幸せだなあと思いました。多くの所はカギがかかっていて、閉じ込められて外の空気が恋しいと訴えられることもしばしばあります。マイクロバスで出かけてもバスから降りて自由に歩くことはできないと訴えられても、少ない人数で介護するのだから仕方がないのだろうかと思ってしまいます。私は・・・・たぶん彷徨っても彷徨っても自由でいることを選ぶだろうなと思うのですが。


端迷惑なことです。老いたら一人暮らしのほうがどなたにも迷惑をかけずに済むのかしらと思ったりしています。誰かの人生を介護で奪いたくはないと思うのです。