あって当たり前

紅葉が光る

冷蔵庫がなかった時代を私はかすかに知っている。昔々幼かった頃、我が家には氷式の冷蔵庫があった。木製のボデイ。氷の塊を定期的に購入して、一番上の扉を開けて入れた。氷が足りなくなって配達までえ待てないときは、氷を買いに行くと注文の大きさにのこぎりで切ってくれる。その音が大好きだった。しょりしょりという音がしておじさんが新聞紙にくるんでくれる。たぶん持ちやすいように荒縄で縛ってくれてそれを自転車の荷台に乗せて持ち帰ったと思う。子供だったから手に持って帰ることはしなかっただろうし、自転車は大人用の黒い自転車に三角乗りをして片道20分くらいだったろうか。多分いまどきの人々にはどんな格好化は想像できないだろう。ジブリのトトロでカンタ少年が田圃道を大人用の自転車で駆けつけるときの自転車の乗り方で、あれは結構バランスをとって走るとスピードが出た。恐らく、今あんな恰好で公道を走ろうものならたちどころにご注意を受けるだろう。昔は車が少なくてのんびりしていたのだろうよ。誰も気にも留めなかった。今考えるとよくもまああんな危ないことをしたものだと思うが、当時は当たり前のことで誰も危険だなんて思わなかった。いや、もしかしたら我が家が変だったのかもしれない。母は自分ができないことを、私ができて当たり前と思っていたらしい。


 とにもかくにも、いつの間にか冷蔵庫が電気冷蔵庫になって、私は氷屋さんに走らなくてもよくなり、各家に冷蔵庫があって当たり前になるのはたいして時間がかからなかった。私は冷蔵庫が多分大好きだったらしく、結婚して一番先に購入したのが270リットルのイタリア製の冷蔵庫だった。大きくて使いやすくてわくわくした。それから買い替えるたびに冷蔵庫は大きくなりとうとう450リットルのGE製のものと430リットルの東芝を並べて使うようになった。子供が7人いた時期で買い物が生協の宅配便しかなかったから。


 その後GEを友人に譲り、冷凍庫を購入し、410リットルを買換え10年ごとに定期的に壊れるのは冷蔵庫というものの宿命なのかと思いながら、又今、冷蔵庫が壊れて修理も出来ない状況になった。小型の別置きの冷凍庫があるから、まあ焦らないのかもしれないけれど、これだけこだわって家電としては重要な位置にいたものが無くなっても、そんなに不便を感じなくて済むのは、コンビニ、車での買い物、スーパーの充実があると思う。少々の価格の差と少ない品数を我慢すれば、すぐに必要なものの補充はできるからだ。


 いよいよダメとあきらめて、型式でエラーメッセージをネット検索し、おおよその目星をつけてやおら、メーカーを呼んで修理をしてもらう。メーカー側の殺し文句は「もう部品がありません」故障個所がわかっていても部品がなければこれはもはや粗大ごみ以外の何物でもなくなる。大好きだったワゴン車も故障しても修理できないと言われれば手放すしかない。なんて不合理なと思うのだが、そうしなければものが売れないからだよと言われればなるほどと思う。仕方がないとは思わないけれど。


 いずれ私が今回購入した冷蔵庫を買い替える機会があるかどうか。私もまた部品のない存在であるのだから、どちらが修理不能になるのかは、もはやわからない。この気分は蛍光管をLEDに変えたときに思った。絶対この明りのほうが私よりも長生きするだろうよ。これからは買換えの旅に同じ気持ちが湧き上がってくるだろう。