キャッホウ

冬が近い夕空

 この頃たいていのスーパーではオレンジ色と黒の組み合わせのグッズを見るようになった。万霊節ってつまるところキリスト教のお盆みたいなものなの?って聞かれるけれどちょいと違う。これは民俗のお祭り。キリスト教では11月が死者のための記念の月になっている。11月2日が死者の日.この日は亡くなった方たちの記念をそれぞれがする。教会に行ってミサを頼む人もいれば、自分のアルバムをめくる人もいる。その過ごし方は様々。その日1日だけではなく毎日曜日のミサの中で亡くなった人のための祈りがあるから、日曜ごとに追悼の気持ちを表してはいるのだもの。不思議だと思うのは仏教にも月命日という考え方があるし、私たちはどこかで亡くなった人を記憶にとどめておきながら自分の人生を生きているのだと思う。つながっているという気持ちが支えになるのだと思う。あなたはどこから来てどこに行くのかわからない。けれど私はきっとあなたとまた会える。その気持ちが生きる支えになる。弔い続ける,悼み続けることの大切な役割を考えなければならない。
 喪失を、よい喪失と呼んで短期終了させるワークがあるが、いいのだろうかと疑問に思うことがある。鬱に落ち込むのは悪いといわれるし、病的なグリーフと呼んで治療対象とみなしたりする。鬱になるにはそれなりの理由があるのだから、一方的に悪いとは言えない。そうやって痛みから立ち直ってゆく時間を確保していく場合もある。一概にひとくくりにしてはいけないと思うのだが。