今日は十月の研修会の

松島湾

 切符の手配に行ってきます。毎月一回は東京に行く用事がありますが、来月も研修があります。この頃いろいろな手段で切符を安く買えるのですが、それでもやっぱり交通費は大きいなと思います。体力があったらバスで行こうと思うのですが時間と体力の両方を持たない私は節約して新幹線で行くしかないなとあきらめています。



 午後からケース一件。淡々と日々の仕事をこなすことが私の気持ちを整えてくれているように感じています。もし、この仕事がなかったら、私は自分の心の世界から出ることはできなかったでしょうし、人とのかかわりを持とうなんて思わなかった。もし人とかかわらなかったら、自分の世界しか見えなかった。この世界にたった一人きりで生きてゆくことは弱い私には到底できそうにもない。人というものは弱いからこそ強い。しなやかに生きてゆける。降り注ぐ雨に背を打たれ、顔を濡らしながらも、きっとこの空の雲の向こうには星があり、太陽が輝いていると教えてくれるのは、同じように雨に打たれている人々だ。私たちは弱いからこそ、支えあうことを学べるのだと身に染みて思う。


 あの震災はまだ終わってはいない。新聞にまだ被災死亡者の名前が載ることをもはやこの国の多くの人たちは知らないだろう。最後の一人の名前が記されるまで終わらない。震災以後の関連死亡者の数は静かに増え続けている。その人たちの名前は新聞には載らない。



 先が見えないまま時間は過ぎてゆく。見えないから生きてゆけるのだと思う日がある。もしあらかじめ知っていたらこの道は歩めなかっただろう。歴史はこの日々をどのように記録するのだろうか。息苦しいほどに激しく時代は私たちを押し流してゆく。私はどこに自分を定めたらよいのだろうか。変わらないものと変わらざるを得ないものの識別をしっかりとしようと思う。生きるということは選択し続けるということなのかもしれない。過ちを犯さずに生きるほど人間は賢くはない。



 さあ、今日はどんな風が吹くのだろうか。たとえどのような風の中であっても、風に顔を向けて立ちたいと願う。