親分「また一つ年」を重ねるナリ

子どもたちの夢の国

 二人が恋人だったころ(そんなことが昔ありましたっけ)この人は大真面目な顔をして自分は若死にするから。長生きしないからねと私に言った。私はぼんやりと「まあそれでも仕方ないか」と思った。何しろ12歳からの友達だからたぶん早く死んでもトータルで共に生きた年数は長いだろうと思った。そして実際死にそうになったこともあって,カトリシャンなので病者の塗油を受けた。昔流にいえば終油の秘跡をうけた。これでいつ息を引き取っても大丈夫。この世での最後の準備は整ったということだったのに、何とか生き延びた。 だからその時以来、この人の誕生日は私にとって特別の意味を持つ。あの時私は老いた夫婦を見かけると涙があふれてどうにも止めようがなかった。もう私には共に老いてゆく相手はいないのだと思うと切なかった。それが今年も又彼の誕生日をお祝いすることができた。これこそ神様からの最高のプレゼントではないか。

 もう一つ年を重ねた分、きっと君はよい人にならなければならないのだよとひそかに思う。この時間は神様が君に下さった命の時間。これを粗末に生きたらいけないよ。


 私はちょっと離れて彼の背中を見ながら歩くのが好きだ。この背中になんとたくさんの思い出が、悲しい思い出やつらい思い出が背負われてきたのかを知っているから。そして肩の上に、やさしいあの子が乗っていると感じるから。母親は子供を胸に抱くが、父親は肩にのせて子供を運ぶ。そんな姿が私たちに現実にあったのだ。子供たちの記憶を共に持つことができる人を見失ったら、私はとても切ないだろうな。


お誕生日おめでとう。