何が起きても大丈夫という気分

並木のトウカエデ

500mlのステンレスボトルのノンカフェインのティバッグを一個入れて氷をがっつり入れて持っているだけで、安心する。重さがあるけれどバックの中にこれがあるとたとえば出先で何かがあっても、まず一口飲んで落ち着こうと思う。このところ天候が目まぐるしく変化するから、人の気持ちもざわざわと落ち着きがないように感じる。人間もまたこの自然の中に生きる小さな生き物に過ぎない。天気が変動すればまた
気持ちも落ち着かなくなる。何とか自力で自分の気持ちのコントロールができる人たちで差へこうなのだ。精神症状を抱えている人たちはとても暮らしにくい日常だ。眠れない、いらいらする、舞い上がってしまう、じっとしていられない、言葉が気に障るb。などなど言い出したらきりがないほど細かな症状の痛みがある。そしてそれは日常的には症状が出てるという一転でしか受け止めてもらえない。症状であれ何であれ、そこに存在する不快感を「それは、難儀だねえ」と受け止めてくれる誰かがいたら、気持ちを聞いてくれる人がいたら、ほんの少しだけ生きることが楽になるのではないだろうか。
 
 寄り添う器としての私自身も又健康で穏やかな精神状態であらねばならないと願う。勿論人間だから波風の立つことはたくさんある。それであってもいやだからこそ、聞ける言葉もあるのかもしれないと思いつつ。健康であることの持つ意味は何が正常で何が異常なのか、自分が正しいのか間違って感じているのかの基準を見失った人に、これが普通の人の感じ方、普通といわれる判断の仕方だと思うといえること。正義かどうかではなく、もっとつつましく人としてどうなのかといえること。間違っているかもしれないけれど、今精一杯の自分であることを大切にしたい。