震災後の街の姿

 今日はケースが午後在った。風が強く時折強い雨がたたきつけ、またいきなり晴れあがる。めまぐるしく変化する天候に翻弄される。金融機関に立ち寄りが必要だった。行ってみたら駐車場をつぶして建物のぐるりに足場を組んで、工事が始まっていた。まだ震災後の建物の補修工事は終わっていない。手順はもう町中の工事で見慣れているから、何をやっているのかがわかる。やっとこの建物の順番が回ってきたのだなと思った。この町はいつになっても震災の記憶はなくならない。まだ復興工事は終わらない。この不便さを、皆黙って受け入れている。
 見慣れた光景をもう一つ。まだ、津波で壊れた小学校が、避難したままで一つの建物の中に二つの小学校が同居している。気が付けばもともとの小学校名が地図から消えて、間借りしている小学校の名前が地図に載っていた。震災関連地図なので被災地の現状を書き込まなければ、いったいこの学校はどこに行ったのかと分らないから、しょうがないのだろうが、冷静に考えると変なものだなと思う。大型バスがやってきて子供たちをおろし、また放課後やってきて乗せてゆく。被災直後はこんなにも長い期間これが続くなんて思わなかった。いつ終わるともしれない被災地のその後は続いている。
 さまざまな不自由さ、不自然さがこの町にはたくさんある。たとえばらせん状に上の階に上っていく駐車場のこと。あの日駐車場の壁が壊れて、または通路が壊れて、上の階から車を下ろせなくなった人たちがいる。数か月車は起きっぱなしにせざるを得なかった。その後、友人たちは絶対に立体駐車場や屋内駐車場を使おうとはしない。屋外の平坦な駐車場であればたとえ車同士がぶつかり合ってこすれたにしても、車の移動はできるから。いろいろある。記憶の中の恐怖や、困難の風景はたくさんある。そしてさりげなく今、現在の生活を支配している。