ストレスホルモン

街灯の形もあれこれ

 ストレスは人間の健康にとって有益であるというプレゼンを聞いていてふとある人のことを思い出した。

 昔、形骸化してしまった夫婦関係の中でもがく人のカウンセリングをしたことがあった。孤独で孤独で、もはや生きていることに何の体温も感じることができない人の話を聞きながら、人間は忘れ去られると生きてゆくことができない生き物なのだと思った。

 その人は私に「ハグしてください」と求めた。そこに流れた感情はお互いの人生の傷を包む思いだったと感じた。あなたの命を私の命が抱きしめる。それは長い孤独な時間の果てに一瞬よみがえった人としての存在の容認だったのではないだろうか。老いたひとのほっそりとした骨ばった背中をしっかりと抱きかかえ私はこの人の肩の上の寂しさに胸が痛んだ。

 孤独で無視され存在を認められることない長い長い年月を手繰り寄せて今この人は何を見ようとしているのだろうか。人はお互いのスキンシップの中でオキシトシンを得るのだそうだ。ストレスによって痛めつけられる循環系を穏やかに支え回復させてゆくホルモンであるという。自らの不具合を自らの力で回復してゆくメカニズムを支えているのは他者の存在だというこの共生の姿。

人は一人では生きてゆくことは難しい。いかなる状況であっても他者の存在が無関係ではない。このことを思うとき、共に生きる人と無条件の支え合いが持てるならば人は自らの命を燃やすことができるのだと思う。たとえむごい状況であっても、誰かを助ける人は病まないという。与えることでしかストレス状態を軽減することはできないのかもしれない。何と不思議な命のメカニズムだろうか。
 
 改めて最も身近な他者である家族のことを考えた。彼らに与えているだろうか。時間、愛情、ふれあい、支える気持ち、手助け、やさしさ、人として存在の容認、受け入れ・・・・・よその人にしてあげているように、私は家族にしてあげているだろうか。

しばし考え込んだ。