雨の日は雨の日のように

 心が静かに成るものだ。特にもうすぐ復活祭がやってくると思えば、自分だけではない、教会全体に春の空気が流れ混んでくるようだ。毎年同じ典礼の繰り返しのようであっても、去年から今年の間に教会共同体の大切な仲間を何人も見送った。とにかく人が亡くなった一年だった。その人一人が欠けただけで寂しさはあるものだ。
 そんなに親しいお付き合いがなくても、その人がいたことによってもたらされた雰囲気は失われて初めてひしひしと分かる。寂しさはあとから追いかけてくる。このお祝い事の時あの人ならばどのような表現をしてくれるだろうか。この悲しみの時あの人ならばどんな言葉をかけてくれるのだろうか。自然に表現されてきたたくさんの感情が失われて初めて、自分の心にどのような風景を見せてくれていたのかが分かる。教会の風土を作り上げていたのは実は目立たない一人ひとりの存在感だったのだと気づく。
 失う前にそのことを伝えたい。あなたの存在の意味を私はこのように感じていると伝えたい。あなたはかけがえのない存在なのですと。能力のある人、目立つ人だけが教会を構成しているのではない。むしろ目立たない人一人一人の存在そのものが風土を作り出しているのだ。