市内四教会合同で

風紋

黙想会があった。指導司祭はパウロ会の鈴木神父。ミサの始まる前の一時間がゆるしの秘跡で、ミサのお説教が第一講話、ミサ後の第二講話で十二時終了。一旦私は家に戻り、親分は教会で会食。以前は食事会をみんなでしたが、お世話役の負担も考えてこの頃はほとんどお茶会で終了する。
 生活も忙しくなり、早く終って自分たちの次の予定に出かけたい。ミサだけコンパクトにあったらそれで良いのかなと思うこともしばしば。精神生活はいつどうやって育まれ成長してゆくのだろうか。知識は増えるが心は豊かになるのだろうか。教会の果たす役割は何なのかと思うことがある。生きにくいこの世の中で、すこしでも生きる力を養うのに役に立っているのだろうか。もしくは心穏やかに天に帰るための日々の準備を 支えてくれているのだろうか。
 四旬節はレントと呼ばれ、復活祭を前に荒野に退き自分自身の本質に迫る時間を過ごす。それが形にとらわれ、目に見えるものを追いかけるようになってしまった。復活祭までの残された日々を自分のレントらしく過ごすためにどうするのか。じっくりと向き合ってみようと思う。