明日盛岡に行こうと思ったのに

mugisan2014-03-20

今夜から大雪になるという。いやはや。雪道を走ることは怖くはないけれど、23日に教会合同の黙想会がある。親分が責任者なので今なにかに出会ってしまう訳にはいかない。彼が委員長の仕事を引き受けて以来、自分たちのことよりも、何かあったら教会の皆さんに迷惑をかけてしまうという思いが先に立って、行動を慎重に選ぶようになった。自分が自分のためだけに生きているわけではない。そう思ったことは仕事を離れてからあまり実感することはなかったが、社会によって存在の意味を意味づけられているという実感が再び家庭の中に戻ってきた感がある。
 人はみな眼には見えない役割や使命を頂いて存在しているという実感は、言葉では簡単だがなかなか体感することは難しい。社会から取り残され、無用になった思いはその人の生きる力を根こそぎ奪ってしまう。しかし、女は過去に何度もこの喪失感を抱いてきたはず。結婚する。自分の名字を失う。子供を生む。自分の仕事を失う。夫が転勤する。自分の職や友人関係を失う。介護が始まる。職を失う。なんとたくさんの出来事が、女達から所属と自立の機会を失わせてきたのだろうか。それを守り続けて生きようとすれば、男の何倍ものエネルギーをかけて戦わなければならない。
 私自身が喜びの影に喪失の苦味を感じたのは「○さんの奥さん」と呼ばれた時。私固有の名前はそこでは必要とされなかった。そして「○ちゃんのお母さん」と呼ばれて、仕事をやめた時から、私の名前は最早必要はなくなっていった。子育ての真っ最中に講演を頼まれた。講演会で講師紹介の時フルネームを呼ばれた時、自分を再び取り戻したように感じた。私は私として生きたい。私を社会につなぐものは、夫でもなく子供でもなく、私は私の責任と義務の中で自立した一人の生き方をいかにして、貫くことができるのだろうか。自活は子育て中は無理だったし、その間のブランクを作っていては社会復帰は難しくなるだろう。その立場と時間の中で可能なことをやり続けることで、私は自分の道を切り開いてきたように思う。
 今年最後の子供が大学院に入学してあと二年たったら、私は本当に自分の役割を終えることができるだろう。その時老いは容赦なく私の首根っこを掴むだろうけれど、笑って退対峙できる人になっていたい。この写真の樹木のように大地に深く根を張って土を抱き空に枝を広げて風を全身で受けることのできる自分でありたい。