子供の頃

長いお下げに憧れて居たけれど、自分で三つ編みにして結ぶことができなかったので、短い髪型しかできなかった。おとなになって美容室に行く時間がなくて気がつけば三つ編みが私のトレードマークになっていた。老いて三つ編みがずいぶん細くなってきたことに気が付き、何時か何かきっかけを作ってきろうと思った。ある役割を退職した。それを気にかろうじて一つに結べる長さに切った。決意の形を自覚したかったのだと思う。執着から自由になることを自分に課したい。年をとったことを受け入れることはなかなかに難しい。こうやって道を退くことは自分の譲れない部分を再確認し、其の部分に特化して存在を自覚する行為なのかもしれない。何もかも手放したら、おそらくおろかなわたしは行き暮れてしまうだろう。ささやかな名誉でさえ手放すことに痛みを感じるのだから。
 今私は老い支度を真剣に自分に課してゆこうとしている。若くはないのだからと諦めるのではなく。これからの死に行く道を如何にいぶんらしく生きるのかを真剣に真剣に見つめて行きたい。