担当者をしていて

mugisan2014-03-18

私はいったい何人の人々の人生に関わってきたのだろうかと思った。人の生死に関わることもなく、自分と家族の喜びや悲しみの中だけで生涯を送る人もたくさんいるだろうに。なんで好き好んでこんなにつらい人たちに寄り添う仕事を選んでしまったのだろぷか。私が私であることが、きっと誰かの支えなしにありえないことだと気がついたから、私もまた、してもらったように、無名の誰かとして支えてになりたかったのだろう。少女の時、そういう形の修道者になりたいと願い、そのままおとなになってしまった。
 私が其処にいることは気が付かれなくとも、誰かが自分らしい人生を歩めたら、それが一番良いことだと思う。もし、私が助けてあげたのよとか、私がいなかったらあなたどうなっていたかわからないわね。と言い続ける人生ならば、どんなにかヒリヒリと痛み、人の言葉や、人の眼差しに振り回されることだろう。
自分の立っているところにささやかなよPろこ美を見出し、人の言葉に振り回されること無く、ただ神の示す道標を辿って行くならば、私は虚しい生き方をしないで住むように思う。
 それが果てしもなく困難な生き方だということはよくわかっている。人は支えてもらいたいし評価された意思、感謝された意思、褒めてもらって喜びたいし・・・・だからこそ其のすべてを神に委ねる生き方をしなければ私は惨めな自分をいつも嘆きながら生きるしか無いだろう。
 すべてを捨てて、全てを受け入れて、ただこの日一日を生きることを新譲渡できたなら、ほんとうの自由を手に入れるかもしれないな。私は私。どう生きていたいのか私よ。