このかわいい種が

mugisan2014-03-15

巨大な樹木になる。イギリスの言葉に「大きな樫の木も始めは小さなどんぐりだった」というのがあるが、まさにこのユリの木の種もその通り。花びらのように見える一枚一枚が種である。手を触れるとパラパラとほぐれて風に運ばれてゆく。これを蒔いたらいつの日にか巨大な樹の繁る森になるのかなと、手のひらにうけとる。
 人もまた同じようなものなのだろうか。自らの可能性も、自らの芽吹く土地も知らず、ただ蒔かれたところで芽吹き、それぞれの空を目指して伸びてゆく。どんな気候であれ、大地に何があろうと、ただその場所に根を張り枝を伸ばし、葉を茂らせ、生きていることの召命と役割を果たしてゆく。
 その願いに叶う人生であったのか。しばし自分の歩みを振り返る。そして思う。ならばあの時何ができたのか。何をしなければこの道は変わっていたのか。あの時、思い浮かべる場面のなんと多いことか。人生というものは思い通りには行かないものなのだといくども思いながら、悔いは残ってゆく。悔いがなければ次の歩みを確実にはできない。ささやかに、仄かに火が灯るように、喜びの日があるから、この歩みを続けることができるのだと思う。
 私の枝は伸びているのだろうか。何がしかの役に立っているのだろうか。ただ生きていることだけが私にわかっていることだ。自らに問う。この人生は心地良いか。この人生はお前らしいか。この人生を胸を張って行きてゆく覚悟はあるのか。幾度ためらいを飲み込み、自らを押し出して生きてきたかを思う。生易しい人生などあろうはずもない。自分だけがとは思わない。それでも過酷であるなと思う時がある。震災から三年目。あの子の死から十年の時間の長さ。大地に深く根をおろしたい。樹はその高さと同じ深さに根を張り、その枝先にまで根を広げるという。見えるところではなく見えないところがすべてを支える。